自転車旅行 第20回 【特別編2】 ポーランド・オーストリア

 プロジェクト135が始まって1年余り、前回の特別編、ドイツ、スイス編から1年、続いたご褒美に1年ぶりにトーチャンの出張にくっついて、ポーランドとオーストリアの自転車事情を見てきました。ついでに(?)ちょっと観光もしてきました。
 ヨーロッパと言っても国によって雰囲気も走っている自転車もずいぶん違うものだと感じました。プロジェクト135で日本の各地を走って来て感じてきたこととの違いも実感できました。前回のドイツ、スイス編の時は日本と比べるだけの経験がありませんんでしたが、今回は少し見る目が違ってきたかもしれません。
 
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皆さんはポーランドと言うと何を連想しますか?
そうなのです!あのアウシュビッツのあった国なのです。ナチスドイツによって推定110万人のユダヤ人が連行されたという収容所のあった所です。
  これは博物館になっている所に掲載してあった当時の写真です。収容所に連行されるユダヤ人の横を自転車に乗ったドイツ兵が走っています。
  1943年4月22日に収容されたユダヤ人女性の写真です。その後は収容人数も増えて一人ずつの写真は撮らなくなってしまい収容した正確な人数もわからないそうです。ちなみにこの日付けは、我がトーチャンの誕生日なのです。生きながらえてもうじき70歳、つまり、アウシュビッツの悲劇はおよそ70年前のことになります。
  70年後の今、アウシュビッツには毎年100か国以上から100万人近くが博物館を訪れるそうで、私たちもその一人ですが、同じ日スロバキアから自転車でやってきたおじさんに出会いました。言葉は全く通じませんでしたが5日間かけてやってきたそうです。
  前回のスイスではチューリッヒなどの街中ではロードバイク、ツエルマットなどの山の街ではマウンテンバイクが多かったように思うのですが、今回は上のおじさんの様な旅する人、ツーリングにたくさん出会いました。ポーランドの古都クラクフで出会ったこの二人はカナダから来て3週間かけてヨーロッパを廻っているそうです。
  首都ワルシャワで見かけたこの人たちもかなりの長旅のようでした。
  ポーランドで見た自転車は、ドイツやスイスに比べて、日本のママチャリに近い様に感じました。

乗っている人の服装も全くの普段着のままでした。

   
   
  行った所が観光地だったせいか大道芸人が多かったのも印象的でした。見上げるような大男。
  一輪車の曲乗り、観客を引きずり出して手伝わせて、、、、大受けしていました。
  このシロクマさん、動きがまさに本物のようで、私が触るまで子供は怖がって触れないでいたほどリアルでした。
   
  ポーランドの名物の一つにキノコスープがあります。何回食べたか、、、、
   
   
  それもその筈、市場にはキノコがあふれていました。
  ポーランドに限りませんが石畳の道が多いのも日本との違いでしょう。自転車も乗りにくいでしょうね。
  見た目はママチャリのようですが、変速機はついています。
  変速機が外から見てすぐわかるのと、内装という見た目には分からない変速機付きもあるそうです。
  では、トーチャンお気に入りの美脚をどーぞ。
   
   
   
  次は、目についた自転車、
   
   
  この子は将来、レーサーになるのかもしれません。
  この人はどこへ行くのでしょう?何をしてきたのでしょう?
  ヨーロッパの都市で目に付くのは各種の銅像です。これはワルシャワでみたシャルル・ド・ゴールの銅像です。フランスの大統領でありながらポーランドに銅像があるのも不思議ですが、ポーランドにとって何か良いことをしてくれたのでしょう。
  ワルシャワの人魚の像です。
  クラクフの戦勝記念象
  そして日本と決定的に違うのは教会の多いことです。これはワルシャワの聖アンナ教会の中です。ここでは夕方にパイプオルガンの演奏会がありました。パイプオルガンは当たり前ですがその場へ行かないと聴けません、迫力ありました。
   
  クラクフの聖マリア教会の塔です。なんと1,222年に作られた建造物です。入り口に入場料を払う所があったので、てっきり教会の中へ入れるのだと思って入ったら、この写真の左手の塔への登り口。途中で嫌になるくらい何段もある階段を登らされました。嫌になったのですが入場料を払ってしまったので最後まで登りました。結果大正解で、街中を見晴らせました。あとでガイドを読むと”その昔モンゴル軍がクラクフを襲った際、敵襲を告げるラッパがこの塔の上から吹き鳴らされた。しかしモンゴル兵の放った矢がラッパ手の喉を貫いた。そのことを悼んで今でも1時間ごとに塔の上からラッパが吹き鳴らされる。”と書いてあるその現場へ知らずに登ってしまったのです。
  クラクフのヴァヴェル城内の大聖堂。
  教会には大聖堂、塔があり、遠くからでも目立ちます。大きな街はもちろん列車移動中の沿線の小さな街にも必ずと言っていいほど教会があります。
  あと、気が付いたことで街なかに自転車を題材にした宣伝物が目に付くことです。紳士服売り場にさりげなく自転車が置いてありました。自転車はカッコよさの象徴なのでしょうか?
  サングラス売り場に自転車のレーサーを置いてありました。サングラスを使う時の一番かっこいいのが自転車乗りなのでしょうね?
  街中のポスターには親子で自転車に乗っている写真がありました。何の宣伝だかわかりませんでした。
  さーて、ここらで一息入れてっと、、、 
ヨーロッパの道は車道も歩道も石畳が多くて疲れてしまいます。歩くのでこんなに疲れるのですから、自転車に乗っていたらさぞ大変でしょうね。トーチャンによれば石畳を走る自転車レースが有るそうですが、自転車も人も普通じゃないでしょうね。
   
  クラクフからウイーンまでは列車の旅、と言っても直行列車はなく、Katowiceという所までは鈍行です。クラクフ発5時55分。まだ暗い駅前は気温11度でした。
  当然ホテルの朝ご飯は早すぎて食べられず、得意のインスタントきつねうどんということになります。旅行中の食料計画はとても大切なのです。前の日に市場で買ってきたネクタリン(30円)がご馳走でした。
  この鈍行が物凄い鈍行でした。Krakow-Katowice間はおよそ50km。これが2時間30分もかかるのです。一両にボックス席が左右3組、つまりとても短い車両なのです。そのうえ私の自転車の方が早いのではないかと思うほどの速度。車内はほかに人もおらず寂しくて、寒くて、眠くて悲しかったのです。
  ポーランドのKatowiceからオーストリアのウイーンまで、途中チェコを縦断しておよそ5時間の旅。一転こちらの列車は快適でした。ほぼ貸切状態の客車内です。
  全くだらけた食堂車の従業員。英語の解る人は一人だけ、僕たちわからないもーんとでも言いたげに、あるいは私たちは客じゃないとでも言いたげに、何やら内輪で盛り上がっていました。ポーランドの駅員も車内の従業員も押しなべてフレンドリーではありませんでした。
  ポーランドの通貨を使い切るべく食堂車でたらふく食べました。少しずつ、何回も注文して、、、。だらけた従業員に仕事を与えてあげました。
あら、私たちって結構こんじょわるかもしれません。
これはポーランドの餃子と言うべきピエロギです。
  そんなこんなでウイーンに着いた時はホッとしました。

仕事仕事、自転車撮らなきゃ。なんて早速街に繰り出しました。

   
   
  同じママチャリ風でもポーランドと比べるとどことなくあか抜けているように思います。
   
  ポーランドと同じく、ママチャリ風の自転車が多かったのですが、どこがどうとは言えないのですがウイーンで乗っている人の方がカッコ良く見えたのはなぜなのでしょうか?みなさんそんな風に感じません?
   
   
  ご存知の方も多いと思いますが、ウイーンの街は古い建物だらけ、そのほとんどに彫刻があり、銅像があり、どれがどれだかよくわかりません。
  噴水を支えていたり、いろいろなポーズをとっている彫刻はどこか苦しそうな表情が多かったように思います。
  それにしてもどんなところにも自転車がいます。
  どこを歩いても、気にしているからでしょうけど自転車が必ず入っています。
   
   
  ウイーンの街は地図を見ながらあてっずぽうに歩けばほとんどの所は見られます。これが国会議事堂です。
  目的地の王宮前では収穫祭と思われるフェスティバル。
  フェスティバルと言えば、、、そーです!!こうなるわけです!!!
私たちの隣のテーブルにいた店の人たちが何やら知らない飲み物を飲んでいたので、何それ?と聞いたところ、ワインを炭酸で割ったxxxxxxだ。とのこと。へーっと思っていたら、私の隣の太めのおじさんが作って奢ってくれました。xxxxxxは聞いたのに忘れてしまいました。味は覚えています。飲みやすく、この天気で危険な飲み物です。
  踊りが始まり、、、、
  冷たいビール売り場が見つかり、、、、あっ、これはジョキを返して1ユーロ貰っているところです。
  サー楽しくなってきたぞーっと!!!!
  ここまでくれば私のもの、私はこんなに英語が上手かったのか、と思えるひと時なのです。オランダから来ていたご夫婦と。
  現地の親子さんと。私思うのですけど、英会話教室なんか行くより、ビール飲んで現地のお祭りに参加してた方が上達が早いのではないでしょうか?
  いつもは買い物はトーチャンの役目なのですが、コーなったら何でも来い、値段交渉はできませんけど、赤じゃなくて白入れてぐらいは言えるのです。
  隣のおじさん、何見てんの!ってなもんです。
  おっ!オッチャン達どっから来たの?どこ行くの?何日かけてんの?ぐらい聞けるんです。オッチャン、日本人が皆こんなではないからね、、、。まーもう明日帰るんだし、ホテルすぐそこだし、荷物はほとんど入れてあるし、、、イージャンおトーチャン。
  いまだにこのおばさんとなんで話し始めたのか思い出せないのです。何か説明している風なのですが、何を話したか全く覚えていません。英語で話したつもりになっていたのは覚えています。
  おばさん、最後はあきれて開いた口がふさがらないの図です。でも楽しかったー♪
  よくできた施設があったそうです。男性専用ですけど。トーチャンだめでしょ、こんなの撮って来て!
  それでもって、最後はこんな雰囲気になってしまったのです。これってトーチャンも結構行ってたって事でしょうか??
 翌日、ウイーン空港からチューリッヒ経由成田まで、食欲がありませんでした。

 今回、主にポーランドとちょっとオーストリアの自転車を見て回って、国によって、街によって自転車って違うんだということがわかりました。日本のママチャリに近い乗り方をしている国でも、大概変速機が付いていました。日本のようにママチャリかレーパンの若者かではなく、普通の人が普通の恰好で変速機のある自転車に乗っている国が多いように思います。ポーランドでは自転車レーンが日本に比べてとても整っているとは思いませんでしたが、自転車が多く、しかもある程度のスピードで走っているので、乗っている人のマナーや、車の人のマナーがお互いを認め合っているように感じました。日本ではまだお互いが邪魔者のようですが、認め合うことが第一歩なのでしょうか?自転車レーンが整い、ルールが確立し、乗る人のマナーが向上して初めてトーチャンの言う文化の域に達するのでしょうね。

 さー、特別編2もとても楽しく終われました。いよいよProject135の日本編に出かけます。 残りのとこから行きましょうか?

 
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