プロジェクト135パート2 第69回 (スリランカ)古代都市シーギリヤ

 シーギリヤは多分スリランカで一番有名な遺跡だと思います。前回のアヌラーダプラから南東へおよそ70kmの位置にあり、アヌラーダプラでおよそ1500年続いたシンハラ王朝のほんの一時期、5世紀の後半に、11年間王朝が置かれました。ダートゥセーナ王の長男だったカーシャパは父王を殺し、ここにあるシーギリヤ・ロックに王朝を築いたのです。もともとは仏教僧たちの修行場であった壮大な岩山に考えられないような城を築いたのです。カーシャパは長男でしたが、その母親はカーストの低い出身で、弟のモッガラーナの母親が王族の出身だったため、王位継承権を奪われるのを恐れ、父王を殺して自分が王位についたという狂気の王だったといわれています。弟に攻められるのを恐れ、修行僧たちを近くの別の山へ追い出し、王宮を築いたといわれています。ただ登るのも大変な岩山にお城を築こうとするのは、よほど恐ろしかったか狂気の人だったのか、いずれにしてもすごい所でした。
 
■今回場所は
 

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ご覧ください。これがシーギリヤ・ロックの遠景入り、ロック登頂証明書です。ちゃんと私の名前が入っています。
 
これがロックの遠景です。あの岩のテッペンにお城を築いたのです。
 
アップにするとこんな感じです。
 
岩のまわりは、こんな感じのお堀が巡らされ、この中にはワニが放されていたのだそうです。
 
お堀の内側には水路が張り巡らされています。
 
井戸やらお風呂やら、それはそれは広くて、岩の登り口にたどり着くまでが大変です。
 
といいつつ、実際の登り口になったらもっと大変でした。石の階段が延々と続きます。
 
大きな岩の間の階段が続きます。
 
その先も階段です。
 
途中の展望台からの景色です。これでまだ3分の1くらいとのこと。遠くの山の中に白い仏像がありますが、あの辺が身勝手な王様に追い出されて修行僧たちが移っていったところだそうです。
 
次第に登りが急になり、途中でヘバる人も出てきます。
 
見晴らしは次第に良くなります。
 
これが有名なシーギリヤ・レディです。5世紀に描かれたという壁画です。
 
だいたい全行程の半分ぐらいのところにあります。急な螺旋階段を登った先にあります。本当は現物は撮影禁止で、これは博物館のレプリカを撮ってきました。
 
これがライオンの入り口。両側のライオンの足の間を登るのです。ここで3分の2ぐらいでしょうか。
 
あの足の間の階段を登って…と考えるとチョット心配になってきました。
 
ウーン、どうしようかなー、ここまでで19人のグループのうちすでに3人がリタイヤしてしまいました。
 
実はこの人が現地のヘルパーさん。70歳以上の人に付いて助けてくれるのです。私のリュックも背負ってくれて…
 
ふもとから手を引いてくれて…
 
ついに頂上まで登らせてくれたのです。
 
私は手を引いてくれただけでとても助かりました。トーチャンの助っ人は腰を押してくれたそうです。あの人たちが助けてくれなければ途中でやめていたかもしれません。
 
頂のすぐ下にはなんとプールがあるのです。なぜこんな場所に水が溜まるのかいまだに謎なのだそうです。
 
プールの手前には王座の跡があります。11年間も弟に殺されるまでここから誰か攻めて来ないか見続けていたのでしょうか?
 
下りも彼が手を貸してくれてとても助かりました。ライオンの入り口まで戻ってきてほっと一息です。
 
まだ手をつないでもらっている人もいます。でもここまで来ればもう大丈夫。あんな所まで行ってきたんですよー。すごいでしょう?達成感がありました。疲れちゃって目も開いていられません。
 
猿出没注意の看板がありましたが、ここでは見かけませんでした。エッ、私のことですか?
 
シーギリヤ・レディのレプリカがあったシーギリヤ博物館の標示岩はとても立派でした。
 
その近くで見た自転車も見事でした。
 
観光用の象もいました。
 
シーギリヤ・ロックの近くには観光客を乗せたツクツクと、現地の人が乗った自転車が見事に調和していました。
 
それにしても、シーギリヤ・ロックの登山口にはなぜあんなにたくさんの自転車がいたのでしょうか?
世界遺産としての登録名は「古代都市シーギリヤ」ですが、実際にはシーギリヤ・ロック城という感じでした。階段が1300段、ヘルパーも付くし難なく登れるだろうと思っていたのですが、どうしてどうしてかなり苦戦しました。それだけに頂上での達成感は格別でした。なんせ気温は37℃。日本からペットボトル10本、野菜ジュース10本を持っていき、現地で毎日ペットボトル4本(2人分です)を補給して何とかしのぎました。あと、ビールは夜だけ、2人で2本だけにしたのも良かったと思います。食べ物は写真撮る気にならない1日でした。毎日、毎食同じもの、果物ばかり食べていました。でもシーギリヤ・ロックの迫力は今回のスリランカで一番でした。シーギリヤ・ロックは自然遺産のような部分もあり、私たちにもわかり易かったのも良かったのかもしれません。オーストラリアのエアーズロックも見たことがありますが、ちょっと趣が違ってとても興味深かったです。あんなに険しい、自分たちが登るのも大変な岩山の頂上にお城というか、都市を築こうなんてどうしたら考えるのでしょう。そして実際に造ってしまうなんて世界遺産の価値は十分にあると感じました。ちょっと遠いし不便ですけれど、みなさんも一度いかがですか?
次回は古代都市ポロンナルワを紹介します。お付き合い下さい。
 
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