自転車旅行 第23回 九州 (後編、長崎~佐賀~福岡)

 前編で大分県、熊本県を走破、後編は長崎県、佐賀県、福岡県を走りました。何年か前に熊本は来たことがあるのですが、それ以外の九州は初めてで、いろいろ新しい経験がありました。
 今回は長旅なので1日の距離は無理をしない範囲にしてくれました。特別くたくたに疲れた日もなく全体としては快適でした。前編ではゲテモノ食いの135になってしまいましたが、後編はまともなものが多くなる筈、だったのですが、、、、。
 後編が終わると残りはあと9都県、年内に何とか完成させたいのですがどうなりますやら。。。。
 
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  熊本県からフェリーで長崎県、島原に到着。島原城はフェリーからすぐ近くです。熊本港9時25分発の高速フェリーは10時に島原港に着きます。ここから諫早まで残りはおよそ40km、楽勝です。なーんてね。
  島原城には忍者や鎧武者の格好をした若者がいて、親切に案内してくれます。あの人たちは市の職員なのでしょうか?
  島原城といえば天草四郎。
私はすぐ格好を真似したくなるのです。
  諌早への途中に、多比良(「たいら」と読むそうです)という場所があります。有明海の蟹が名物で、"たいらがね"といって有名なのだそうです。この生簀、どんな店にあったかというと、うどんを食べようと入った、うどん屋さんにあったのです。
  うどんと蟹。珍しい取り合わせだとは解っているのですが、私たち”ここでしか食べられませんよ”っていうのに弱いのです。あービール飲みたかった。でもまだ自転車に乗るので、、、残念。蟹はとてもおいしかったです。
  腹ごしらえがすんだら真面目に走らなければ。天気もいいし、景色もいいし、ご機嫌です。
  諌早と島原を結ぶ島原鉄道が道路の横を走っています。いつも1両、わりと頻繁に走っていました。
  諌早は干拓事業で有名です。堤防道路の標識に誘われ251号線から外れて行ってみました。広々としたきれいな道に殆ど車はなく快適でした。これ、堤防の上の道路です。向こう側の高来町までつながっているのです。
  水門を開けろとか、開けるの反対とか干拓事業が良かったのかどうか私にはわかりませんがすごいことをやったもんだと思います。
  天気の良いのは有難いのですが、日差しが強すぎて暑くなってきました。
  さー寄り道はこのくらいにして、ホテルへ行こう、と真面目に諫早駅を目指して走ったのですが、やってきたのは本諫早駅。ここから目的の諌早駅まで結構ありました。
  途中に出てきた眼鏡橋。諫早の観光名所だそうです。それよりホテルは???
  眼鏡橋から駅に向かって川沿いにぶらぶら走っていたらママチャリに呼びかけられました。自転車大好き女子学生とのこと。「自転車で全国旅してるなんて羨ましー!!」、「50年たったら出来るよ」、と話して、信号で停まったらなんとそこがホテルの前。この子に話しかけられなければまだまだ駅に向かって走ってしまうところでした。この子は良い子です。
  この旅は大分から阿蘇を越えて熊本へ、そこからフェリーで島原へ、、、そしてようやく諌早へたどり着きました。なんと、諫早では同じホテルに2泊して、翌日は列車で長崎市へ行って観光です。左の写真のような気分です。諫早のホテルの反対側にありました。
  長崎平和公園、遠くに祈念像、そこまでの両側に当時の刑務所の土台が残っています。
  祈念像は想像よりもとても大きかったです。像があるとすぐ真似をしたくなってしまう私ですが、さすがにここでは憚られました。
  平和公園にほど近い大浦天主堂にはヨハネパウロ2世の像がありました。ここでも真似はよしました。
  三浦環さん、ここでは我慢できませんでした。グラバー園で。
  マキシミリアノコルベ神父、とその愛車。自転車に乗っていたんですって。アウシュビッツで収容者の身代わりになって死刑になったという神父様です。9月にアウシュビッツへ行ってきたので知ってました。
  やって参りました軍艦島。昭和49年に閉山になった三菱海底炭鉱の地上部分です。
  長崎桟橋からおよそ19km。今は全くの無人島ですが当時は酒場、映画館、学校などすべてのものがあり、ないのは火葬場と墓場だけといわれるほど栄えていたそうです。
  地上から600m下り、横に1km以上あった横穴からさらに300mも下って掘っていたそうです。1日3交代、24時間稼働だったそうです。
日本で最初の鉄筋コンクリートのアパート群、跡です。最盛期には小さな島に5,000人も住んでいたそうです。どんな暮らしだったのか想像できません。
  長崎には修学旅行と思われる高校生が来ており、班行動をしているのを沢山見ました。私たちも修学旅行のようでした。橋の無い思案橋で。
  この日は長崎ちゃんぽんならぬ五島うどん。細めで美味しかったですよ。
  翌日、この日は諌早から吉野ケ里公園までは長崎本線で、そこから自転車で柳川へ走り、柳川で最後の晩餐の予定です。
朝、小雨。ホテルから駅まで400mほどあるので、駅までは自転車で走って駅で袋入れ。
  吉野ケ里公園は特急が止まりません、諌早7時54分発、鳥栖行き、普通列車の予定です。ホテルの朝食は7時から、食べてから駅へ行って袋に2台入れて、54分で全部やる自信がないということなので食べずに6時半にホテルを出ました。袋へ入れて、ホームに2台置いて、、、、さてそれからどーしたでしょうか?
  そーなのです、しぶとくホテルに戻り朝食を食べて、それからまた駅へ帰ってきたのです。朝食付きの料金ですもの、もったいないでしょう?すごい豪華でしょう?
  私たちが乗る諌早で ほとんどの人が下りてしまい、車内は貸切状態でした。
  長崎本線は有明海に沿って海のすぐ近くを走ります。ホームの向こうは有明海です。
  列車に乗っている間はかなりの雨で気が重かったのですが、吉野ケ里公園駅に着くころには止んでくれました。コスモスが花盛りでした。
  さすが国営だけのことはあります。広大で立派な施設でした。なんとここも日本100名城の一つだそうです。お濠で周りを囲んだ環濠集落の代表的な施設だそうです。
  吉野ケ里は三重に濠があり、重要人物の住いは柵で囲み、大人と妻に家が一棟ずつあります。王様のお住まいにお邪魔しました。
  見張り台の上で案内のボランティア。この写真の人は人形ではありません、本物です。
  国の方針を決定する場は、遠くからも見える高い建物になっています。国会議事堂ですね。
  国会議事堂では会議中でしたがちょっとお邪魔してみました。
  亡くなった貴人の墓は、落花生の殻のような、あるいはヒョウタンのような形の甕でした。
  園内は歩いてもまわれますし、小さな電気自動車が巡回して乗せてくれます。この乗り物でご一緒した男性二人連れ、今朝羽田空港を出て、福岡空港でレンタカーを借りて、ここまで来たそうです。今日は島原まで行くそうです。
  立派な駐輪場もあります。でも停めているのは私たちだけでした。
  ここにもシルバー割引がありました。一般400円、65歳以上200円でした。吉野ケ里公園は福岡県、関東の人たちにはちょっと遠い感じがしますが、園内で行きあった人のように福岡空港まで飛んでしまえば意外と時間がかかりません。この施設はお薦めです。特に小さいお子さんには印象的だと思います。勿論軍艦島も良かったのですが、その意義は子供には分かりにくいと思います。
ここはとても分かりやすいです。ここで弥生時代や卑弥呼の話でもしてあげたらお母さんの株が上がると思います。中国や朝鮮と九州の近さ、日本の歴史は西から来ていることを実感できます。奈良が古いといってもここにはかないません。関東はもっと新しくなります。こういう施設に国が税金を使うことは賛成です。なーんていってないで135、135。
  吉野ケ里公園から今日の目的地、柳川まではおよそ20km。雨上がりの道を真面目に走りました。
  途中、小さな橋はありましたが、概ね平ら。この頃平らな20kmは私にとって大きな負担にならないのです。というよりも快適です。慣れは恐ろしいですね。
  真面目に走った最大の理由は、、、、、そーなのです、お昼前に着いて柳川で美味しいものを食べたかったのです。さて、これはなんでしょう?調理前。
  これが調理後。
信じられませんが、なまのクラゲです。これがまっこと美味でした。
  さてそれでは柳川名物明海の珍味盛り合わせ。
左から時計回りに、鬼菱、イソギンチャク、ムツゴロウ、海竹、白生クラゲの梅肉和え、みどり三味線貝。
勿論覚えられません。今回はメモを取ってきました。
  ここのご主人、ライフル射撃の国体長崎県代表を13年間続けているとかで、何しろ話し好き。さすがの私も聞き役になってしまいました。
  これだけの珍味、つまりゲテモノ、をしっかり食べた旅行者は少ないそうです。その証明書を発行してくれました。私たち珍味に目がないのです。特にツレアイ。知人はゲテモノ食いと呼びます。そのゲテモノチャンピオンのトーチャンが翌日から三日ほど静かでした。自発的休肝日が続きました。珍味のせいかどーかは分かりません。
  柳川藩は立花氏の城下町で掘わりで有名です。お堀を巡るどんこ舟、1時間ほどゆるゆると巡ります。
  船の中で泣き叫んでいた男の子、なぜか私になついてきて、機嫌がよくなってしましました。田舎のおばーちゃんを思い出したのでしょうか?
  翌日、柳川から佐賀空港まではおよそ17km、羽田行きは3時過ぎなのですが午後から雨の予報なので早めに出発です。昨日の珍味やさんの前で。いや、明海郷土料理屋さんの前で。
  空港までの道路は概ね側道も広く走りやすい道でした。ただ、雨が降りそうなので急ぎました。
  福岡県と佐賀県の県境近く、筑後川を渡ります。まだ雨は来ていません。
  佐賀県は農業県ということが実感できます。見渡す限りの畑なのですが植わっているものが何なのかわかりません。
  人見知りの激しい私は、すぐ人に聞いてしまうのです。
上の写真の一面の茶色い作物、この写真の後ろの方のもの、正解は大豆でした。米の減反政策で大豆にしたとのことです。アメリカや中国産に対抗できるのですかね?
  ついでに、おかーさんの右手、こちらから見て左手の葉っぱの大きいのは"うこん"だそうです。トーチャン帰りに売店でたくさん買っていました。肝臓に聞くそうです。
  遠くに空港ビルが見えてきました。何とか雨になる前にたどり着けそうです。
  空港について、シルバー割引ゲットして、自転車を袋に入れて、預けてしまえば、もーこっちのもの。そのころになると雨が降ってきました。空港の喫茶店で性格の悪い老夫婦はヒッヒッヒッと喜ぶのです。
  さてここで問題です。この一面の赤いものはなんでしょう?
正解はシチメンソウです。昭和62年昭和天皇行幸の際、干拓地にお手植えされたものが現在は広範囲に自生しています。佐賀空港の近く、観光地になっていました。
  この写真では分かりにくいですが、シチメンソウと堤防を挟んだ干潟に、本当にムツゴロウがいました。大きいのや小さいの、何も珍しいものではなくすぐそこに普通に居ました。余りおいしそうではありませんでした。
 今回の旅は、熊本城以外は初めての場所で、歴史的に有名な場所も多く、まさに修学旅行気分でした。それぞれテレビや新聞、雑誌などで見聞きしてはいましたが、小さい枠でしか見られませんので、360度見渡してみると高さや大きさ、傾きなどが体にある感覚を与え、ずしっと重みを感じました。
 食べているときや、列車に乗っているとき、空港に着いた後などには雨が降っていた時がありましたが、夜中に降った雨のせいでしぶきが少しかかったものの、雨には一度も当らずに走れたことも特筆に値すると思います。今回は本当に天気に恵まれました。県をまたいで走ると、道路状況や県民性の違いも感じることができます。
 今回はいろいろな乗り物に乗りました。飛行機、列車、フェリーなどなど。袋の出し入れが以前より早くできるようになったので、途中で汽車に乗るコースを入れたり、また自転車で走ったり、コース作りも選択肢が増えたようです。
 今回、前編、後編で一気に5県走り、47都道府県も残りあと一桁になってきました。気温が低くくなり、寒い感覚で走ったところもありましたが、体が慣れてきましたので、今一度カツを入れて頑張ります。次回は神奈川県を予定しています。お楽しみに。
 
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