世界最大のグラベルレース「アンバウンドグラベル200」グラベル333kmレースレポート 中村龍太郎

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STIが仮死状態で足の腫れもひどく、当日までに練習もできないという現実がメンタルを崩壊させていく

子供たちは容赦なく足に乗っかり、遊んでほしいとせがむ。風呂担当も妻にやってもらうことになり、本当に迷惑をかけた。しかしやまない雨は無く、明けない夜もなく、直らないケガも(まぁまぁあるけど)ないのである。

 

まずはSTI。近くのショップに持って行ってみると「これはSTIごと交換だね~STIの入荷は9月になるよ~」と言われ「間に合わない…」と凹む。MTBのシフトを移すことも考えたが、そこに現れた救世主畑中氏。「ちょっとお預かりします」と言って内部にメスを入れ、何とか変速ができるようにしてくれた!トップ側に変速するのは問題ないが、ロー側に変速するためにはトップ側レバーを押したままでないとロー側レバーを動かせないという謎な仕様になった。しかしこれには全米がもらい泣きしてほしいくらい自分の中ではココロオドル出来事で、感謝してもしきれない。登り返しなどはやはり変速しづらいのでうまく走れないが、UNBOUND GRAVELでは気にならなかった。DHバーもつけて準備完了!

足の腫れや痛みはレースのある週末にやっとZwiftできるようになり、ギリギリ間に合った。長い距離を走るとどうなるかわからなかったのでKT Tapeを大腿部と膝に貼り付けて走ることに。

自分の住むケンタッキー州レキシントンから会場のあるカンザス州Emporiaまでは車で11時間弱で700mile=1120kmほど。畑中さんを連れて木曜日の朝に出発し、到着したのは夕方。宿はEmporiaに取りたかったが探し出した4月時点ではすでにどこもいっぱいで見つけられなかった。隣町で会場から車で1時間のTopekaに三泊で予約したが、レースのスタートが6時と早く、それに家族を付き合わせることは避けたかったので毎日のように探してキャンセルが出るのを待った。幸いにも一か月前くらいにスタート地点から自走で15分くらいのところに空きができたので滑り込めたが、$195.2/泊と足元見るよねぇ~って感じ。財布が痛いのでレース前日のみ予約して、前後二日はTopekaに宿泊した。

 

金曜日は午前中に息子を公園で遊ばせてもらい、午後にコースのCPの場所を確認しつつEmporiaへ移動。

 

受付ではゼッケンや参加賞に加えてピットクルー用のタグも受け取る。

 

参加賞はUNBOUND限定品として靴下とバフ、靴ベラ、メジャー、チェーンLUBなど。アイマスクと耳栓には頭に?がついたが、完走すればその理由もわかる。UNBOUNDは個人のペースで走れて朝の3時までにゴールすれば完走となる。3時に帰ってきたら日の出までそこらへんで寝る人がいるらしく、その時に使う用なのだろう。(多分違う)

 

受付完了後会場をブラブラ。Emporia Granada Theatreは例年入賞者がこの看板の上で写真を撮るそうで、自分たちはせめて下で、とパシャリ。

 

多くのメーカーのブースが立ち並ぶエリアは賑やかで、コロナがまだ流行っていることを忘れてしまいそうになる。 宿に戻ったらパスタを茹ででカーボローディング!

 

翌日の準備を完了し、あとは走るだけ。

 

土曜日の朝6時にスタート

5:30くらいに着くようにまだ薄暗い中、畑中さんとスタート地点へ移動。 スタート位置は自己申告制で前から10hrs,12hrs,14hrs…と二時間ごとに並ぶ。自分は謙虚で内気な心が邪魔をして12hrsに並んだ。

 

6時に921人がEmporiaの街をスタート。

 

しばらくは舗装路だったが、ものの3kmほどでグラベルロードに早変わり。そこからは朝日を浴びながら、まるでテレビで見たStrade Biancheのように砂煙の中を走っていく。 90度コーナーでやっと先頭を確認できるのだがかなり遠く、舗装路区間で結構ポジションを上げたと思っていたが、そうでもなかったみたい。走行ラインは道の左右の轍で、先頭交代の無い二列走行で40km/h弱で淡々と。前に上がるにはこの轍のラインを外さねばならず、当然パンクのリスクが上がる。

 

かくいう自分も14km地点で後輪が早々にパンクし、直す羽目になった。 自分がパンクする前にも既に何人かの選手がパンク修理をしていたので、何も珍しいことではなく、パンクへの準備はしてきたのと、自分のペースで走った方が良いんじゃないか?とポジティブに考えていたので「これぞUNBOUD GRAVELの洗礼ダネ!」みたいな笑顔でThumbs upしつつ抜いていく選手たちに、ちっとも怒りが湧いてこない。むしろ「次はあなたかもしれないよ!」という意味の笑顔で返すくらいの余裕。パンクを修理し、以降はひたすら前を行く選手たちを抜いていく。

 

途中同じようにパンクした、恐らく10hrsクラスの強者が抜いていったのでしばしランデブー。 といっても「轍を外すとパンクするから」と言い聞かして金魚のフン走法だったが、ペースが速く息絶え絶え。40km地点からのガレ場区間に入ると650B×47で走る自分の方が安定して走れるようで、しれーっと千切った。

 

この区間では途中30℃近くまで気温が上がっていたのにも関わらず泥区間がまだ残っており、リスク回避で皆歩いてクリア。

 

ガレ場区間が終わるとまた走りやすいGravelに戻り、ここでランデブー時のハイペースが祟って登りでペースを落とす。 しばしランデブー相手だった選手にもぶち抜かれ、思わず「すいませんでした」とポツリ。

 

STIが緩んできたのもあって一度止まって小休憩。 パンク修理の時もこういった小休憩の時も、忘れずにおにぎりを食べる。走り切れる足があるかどうかわからないのでせめてハンガーノックは避けたい。家族の待つ111kmのCP1に到着したのは10:20。背中のハイドレーションとボトル二本に水を補充し、おにぎりもトップチューブバックに収納。

 

元気な子供たちの様子に後ろ髪をひかれつつ、やめたくなる気持ちをぐっとこらえて出発。

 

が、そういう時に追い打ちをかけるようにアクシデントは起きる。131km地点でチューブを入れた後輪がパンクし、チューブにパッチを貼ってパパっと修理。よしできた!と空気を入れて自転車を起こすと前輪がパンクしている。 とりあえずそっと自転車を降ろして天を見上げて息を吐き、「まだ大丈夫」と言い聞かせて前輪の修理に取り掛かる。周りに木が全くなかったので炎天下の中、前後輪の修理を行い、大幅なロス。気を取り直して行こう!と意気込んだはいいものの、148km地点で再度後輪がパンク。さすがに「なんでやねん!」とカンザスの空にエセ関西弁が響く。

 

開いてみるとさっき直したはずのパッチが剥がれており、自分のズボラな修理能力に呆れる…。今度は木陰があったので暫しクールダウン。 今度はきっちり時間をかけて直し、再出発。結果的にこれ以降パンクはしなかった。

 

例年展開が起きるLittle Egypt区間では、ガレ場に加えて激坂があるのだが、Stravaを見るとたった3.8kmの区間で自分は14分かかっているのに対し、先頭選手団は7分41秒で駆け抜けており、改めて違う次元だと認識させられる。

 

167km地点のHalf Oasisでは水道水の補給のみと聞いていたのだが、キンキンに冷えたコーラをボトルに入れてくれた。 別に何度貰いに行ってもいいのに、なんか恥ずかしくて毎回違う人に、さも今着いたような顔をしてコーラを貰って、水っ腹になってしまった。パンクしてからこのHalf Oasisまでが身体的にきつく、やはり「半分までが一番きつい法則」を改めて感じる。

 

このHalf Oasisを出ると久々に舗装路に帰ってくるので、リタイヤする人が道端でサポーターを待っている。 未舗装路での回収も可能なのだが、電波の通じない環境や、車でもパンクするリスクもあるので、こういったところで合流するのが安牌なのだろう。

 

第二OasisであるAlta Vistaの街に向かう途中には小川が流れており、寝転がって後半身浴。 他の選手に頭のおかしい日本人だと笑われてるかもしれないが気にしてられない。ただ飲むのは憚られた。ここで少し回復できたお陰で、好調なペース(当社比)で202km地点の第二Oasisに17時に到着。否が応でもコーラを期待するのだが、ここでは事前情報の通り水道水だけだった。別に大会側に文句は無いのだが、第一Oasisで飴を与えられたので落差が激しく、心なしか皆うんざりしたような、どんよりとした空気だった(当社比)。

 

自分はCP2で待つ家族にできるだけ早く会いたかったので、水の補給をしたら早々に出発。 レース半分過ぎたあたりから南下していくのに合わせて向かい風になり、このCP2までの区間で牙を剝きだし始める。そんなときに限って9km直線で南下しなければならず、アップダウンは無いのだが孤独な風との戦いだった。心を無にしてDHを持つ手のささくれをずっと見ていた。しかしこのCP2に到着する前の区間が体の状態が非常に良くて、いくらでも踏めるようなライダーズハイな状態に。家族に会えるというのは本当に力になる

 

19:30に251km地点のCP2に到着し、物資を交換。 先を走っていた畑中さんはここで腰が爆発し、無念のリタイア。畑中さんの魂を勝手に背負って走る。

 

この時点で夜走ることが確定しているため、ライトを装着し、レンズをクリアに交換。唐突に便意を催したので、出すものを出して、最後の80kmに突入。 そこまでで走った距離を考えると「残りたった80kmで大したことない」と思えるほど頭が麻痺しており、中盤までは快調に走っていたのだが、完全に日が落ちてライトなしでは走れなくなってから、気持ちに余裕がなくなり、徐々に精神が崩壊し、それに合わせて膝が痛み、尻が悲鳴を上げる。最後の10kmは残りたった10kmなのに永遠に続くんじゃないかと泣きそうになっていた。Emporiaの街に帰ってきて大学の構内を通ってゴールへ。

 

人生で一番長い時間自転車に跨った

時間は23時を超えているのにも関わらずゴール前に観客が列をなし、「You’re awesome!!」と声援を送ってくれる。

 

ゴール時間は17時間26分。 人生で一番長い時間自転車に跨った。

 

ゴール後は無事に完走できた安堵と疲労で体がいうことを聞かず、歩道に寝転がるとそのまま眠ってしまいそうになる。 アイマスクと耳栓が無くても確実に寝れる。

 

完走者にはステンレスコップとバーテープ、完走者タグとそれぞれの完走時間に合わせたワッペンがもらえる。 200では20:50までに完走すればSUN CLUB、20:50~0:00までにゴールすればMIDNIGHT CLUB、0:00~3:00の間にゴールするとBREAKFAST CLUBに入ることができる。疲れすぎて完走者タグは会場に落としてきてしまった。

 

コースに関して走り切ってから思うのは、「さすがアメリカ」。冗談抜きで合計距離332kmのうち90%が未舗装路だった。獲得標高は3152m。これをほとんどラインレースにできるのがすごいところ。しかも350のルートをショートカットさせることでコースを200mile引いているので、距離が長いとはいえ同じところをグルグル回るのではないことが驚き。このコースはコース上に矢印が置いてあるのではなく、レースの一か月前に提示されるコースデータを参加者が自分でサイコンにダウンロードするなりして、自己責任で走る。携帯は圏外がほとんどで繋がらない、分岐点が結構あるため、確実にサイコンにダウンロードしておかないと本当に遭難する。当然サイコンの充電が切れたらThe end。グラベルは普段車が通っている道の轍は舗装路のように固く走りやすいが、使われていないであろう道の石は一つ一つが大きく尖っていて、パンクを誘発させる。アメリカらしい直線の単調なコースで、コーナーは基本90度。山の中を走るようなことは無く、一部林の区間が走行中の唯一の日陰。道路わきに生えている木の下で仮眠している選手が何人もいた。
三度のパンクがあったとはいえ無事に完走できてほっとしている。スポンサーからの供給品でのサポートと、友人の助けと、家族の支えとがあってギリギリ完走できた。本当に心から感謝したい。もし来年も参加できるのなら自分の記録の更新とできればSUN CLUBでゴールしたいと思う。

 

中村 龍太郎(なかむら りゅうたろう)

チーム:イナーメ信濃山形、CrankWorksBicycle

2015年全日本選手権個人タイムトライアルチャンピオン。一般企業に勤めるフルタイムワーカーでありながら、Jプロツアーを走り1桁台の順位を量産。トラックレースにも参戦し、全日本オムニアムでは3位。2019年から仕事の関係でアメリカ・ケンタッキー州在住。

主な成績

・2015年 全日本選手権 男子個人タイムトライアル優勝
・2015年 Mt.富士ヒルクライム優勝
・2016年 全日本選手権オムニアム3位
・2017年 JBCF Jプロツアー 前橋クリテリウム2位

使用機材

ロードバイク:Felt FR FRD

TTバイク:Felt DA1

トラックバイク:Felt Tk FRD

グラベルバイク:Felt Breed 30

ヘルメット:BBB マエストロ

ブログ

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