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自転車で日本100名城ツーリング 水戸城 1 第21回

  第21回 水戸城の回 ページメニュー  
  【その一】 水戸のスクール事情  
  【その二】 水戸城跡と偕楽園  
  【その三】 はじめての自転車散歩  
     
 
 
 
 
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  【その一】: 水戸のスクール事情

 
  日本100名城 水戸城  
【コメント:阿部ちゃん】
スペシャルアザーズをお迎えして水戸城を攻め落とします。キャラバンという馬を従えて池袋の陣地から発ちます。
 
         
 
 
水戸までは高速で向かいます。納豆の話ばかりしていたため、空腹に苛まれたホズミン先生。サービスエリアで一服して既に半分ぐらい満足気な表情を浮かべております。
 
         
   
なんだかんだで着いちゃうものですね。水戸駅周辺のパーキングで自転車を降ろしまして、みんなで自転車を整えます。
 
         
   
タイヤに空気を入れるという単純な作業でも、初心者の方々にとっては楽しいものなんですね。ヤタロウ先生の破顔たるや、来てよかったと思わせる瞬間です。
 
         
   
自転車が整ったので、少し乗り方の練習をしてみましょうか。駐車場が広くて良かったと心から思うタケチ先生。

 
         
   
こういう浅はかさが事故を招く要因となっております。交通安全には十分気を付けましょう。
 
         
   
【コメント:のぶ】
準備と慣らし運転も完了し、スタート!とりあえず安全運転で、ゆっくりね。

 
         
 
 
三の丸という校名もさることながら見事な門構えの小学校。さすがは水戸藩のお膝元。児童たちは六年間、みっちり国学と築城術を身につけるそうです。
 
         
 
 
水戸の二代藩主、徳川光圀は日本各地の歴史や逸話を集めて『大日本史』の制作を目指しました。そのため各地を漫遊したという伝説が水戸黄門の起源らしい。善玉の親分イメージですが、若い頃は辻斬りにも凝っていたというから人とは変わるものです。
 
         
   
自称「水戸のキーマン」。百名城スタンプは弘道館受付で、この方がお持ちです。
 
         
 
 
弘道館前は満開のサクラ。左近桜といって宮内庁からのいただき物らしいです。
 
         
 
 
水戸もまた、大震災の爪痕が残っています。現在は弘道館内部には立入禁止となってしまってます。
 
         
   
弘道館は9代藩主、徳川斉昭が作った学校。最後の徳川将軍のオヤジでもあります。斉昭を蟄居させられたのにブチ切れた浪士たちが桜田門外の変に臨みました。
 
         
   
200年以上かかった『大日本史』の編集により水戸藩は「尊皇」を再発見したといいます。ここでの授業も熱かったでしょう、ね!
 
         
   
土佐出身のタケチ先生。実は武市半平太の…という噂もちらほら聞き及んでおります。尊皇思想を発動させた藩校を目のあたりにされ、「タイムスリップして通いたい」を連発されていました。
 
         
   
この後、土佐に帰り、攘夷のさきがけとなるべく土佐勤王党を開かれるそうです。
 
         
 
 
 
 
 
その二: 水戸城跡と偕楽園 
 
         

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