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自転車で日本100名城ツーリング 小谷城 【その二】 第48回

   
   
  第48回 小谷城の回 ページメニュー  
  【その一】 小谷城への道  
  【その二】 小谷城に登城しました。  
 
   
 
 
 
  【その二】:小谷城に登城しました。
 
     
  日本100名城 小谷城  
 
敵情視察も無事済んで、いよいよ小谷城へ。
身近に潜む危険に気を引き締めて向かいます。
 
 
 
     
   
 
まずはエッチマンに注意しながら情報収集。小谷城の麓の清水谷は家臣団の屋敷が立ち並んでいましたが、今は歴史資料館まであります。
 
 
 
     
   
 
出丸の麓に回り込むと戦国ガイドステーションが!
こちらから舗装路でヒルクライムもできますが、バスが通るので歩きを勧められました。かつての大手道があるとか。
質問すると兜がなんでも教えてくれます。記憶ではそうなっています。
 
 
 
     
   
 
何となくタイムスリップ感を演出されながら小谷城に足を踏み入れました。
 
 
 
     
   
 
大手門をくぐるとすぐに磯野家の屋敷跡。磯野といえば、後ほど、姉川でその槍働きのすさまじさを確認しました。
 
 
 
     
   
 
小谷城を目指して本日2山目。まだ朝9時ですが。
 
 
 
     
   
 
禁をやぶって収穫にいこうとするヨシさんを必死で止めました。
季節でないことを知らせると落ち着いてくれました。
 
 
 
     
   
 
小谷城の浅井家が六角に攻められたときに助けに来た朝倉の金吾宗滴がたむろったため、金吾丸という名前がついたそう。
少し下には同じ理由で真柄峠という場所もありました。
 
 
 
     
   
 
小谷城の虎口にあたる番所跡。このあたりまでは舗装路があり、バスで来れるようです。乗用車は今はダメのようなことをあの兜が言っていました。
 
 
 
     
   
 
私としては、お市がみている、でもいいと思う。
 
 
 
     
   
 
先ほどの虎御前山を望んでこの表情。小谷城の大きさを体感しております。
聞き間違いでなければ、そろそろ、信長の野郎、というゲームをやりたいとおっしゃっていました。
 
 
 
     
   
 
こちらは馬洗池。石積みで補強してあります。
ゲームで騎馬隊の強さを実感しているヨシさんには、この頃の馬がポニークラスのものであったと言われていることは伏せておきました。
 
 
 
     
   
 
浅井亮政が、裏切った家臣の首を刎ねて晒したという首据石。
何を思ったか、指をさす我が社のプレシデントの手が怖ろしいですな。
 
 
 
     
   
 
黒金門跡。この先はもう本丸目前なので、非常に重要な防御地点でしょうね。
 
 
 
     
   
 
本丸の石垣。初期の山城なので、壮大な石垣ではないですが、寺社の秘儀だった石垣作りを居城で行なわせたことで、浅井家が大名にのし上った証となりました。
 
 
 
     
   
 
堀切ポーズ、をしてみました。本丸の北は25mの大堀切で区切られています。
 
 
 
     
   
 
さらに奥にも曲輪が広がっており、ここ京極丸は羽柴秀吉が占領に成功し、小谷城を落城に向かわせたそうです。
 
 
 
     
   
 
山王丸の石垣はかつては5mもあった大石垣で、苔の廃城感がオーラを放っています。
 
 
 
     
   
 
さて、今回は小谷城山王丸で「義人髙島の『城を喰う』」。
暇すぎる方はどうぞ。
 
 
 
     
   
 
例によって膝にダメージを蓄積しつつ無事に下山。大手門に戻ってきました。
 
 
 
     
   
 
近くの歴史資料館が開館していたので百名城スタンプを忘れずにゲット。
 
 
 
     
   
 
さて、雨が降り出してきましたが、寄り道しに行きましょう。
残念ながらガーサスの食料は今ありません。
 
 
 
     
   
 
目指すは姉川古戦場。小谷城からの距離を体感しつつ、7km、30分ほど走りました。
 
 
 
     
   
 
意外にも説明看板がいくつもありました。
ヨシさんは浅井方の磯野員昌がいかに織田方を苦しめたかを検証しています。
 
 
 
     
   
 
この姉川を挟んで対峙した緊張感に想いを馳せつつ、浅井の領地を後にします。
 
 
 
     

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