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九州 (後編、長崎~佐賀~福岡) その1

 前編で大分県、熊本県を走破、後編は長崎県、佐賀県、福岡県を走りました。何年か前に熊本は来たことがあるのですが、それ以外の九州は初めてで、いろいろ新しい経験がありました。
 今回は長旅なので1日の距離は無理をしない範囲にしてくれました。特別くたくたに疲れた日もなく全体としては快適でした。前編ではゲテモノ食いの135になってしまいましたが、後編はまともなものが多くなる筈、だったのですが、、、、。
 後編が終わると残りはあと9都県、年内に何とか完成させたいのですがどうなりますやら。。。。
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熊本県からフェリーで長崎県、島原に到着。島原城はフェリーからすぐ近くです。熊本港9時25分発の高速フェリーは10時に島原港に着きます。ここから諫早まで残りはおよそ40km、楽勝です。なーんてね。

島原城には忍者や鎧武者の格好をした若者がいて、親切に案内してくれます。あの人たちは市の職員なのでしょうか?
島原城といえば天草四郎。
私はすぐ格好を真似したくなるのです。
諌早への途中に、多比良(「たいら」と読むそうです)という場所があります。有明海の蟹が名物で、"たいらがね"といって有名なのだそうです。この生簀、どんな店にあったかというと、うどんを食べようと入った、うどん屋さんにあったのです。
うどんと蟹。珍しい取り合わせだとは解っているのですが、私たち”ここでしか食べられませんよ”っていうのに弱いのです。あービール飲みたかった。でもまだ自転車に乗るので、、、残念。蟹はとてもおいしかったです。
腹ごしらえがすんだら真面目に走らなければ。天気もいいし、景色もいいし、ご機嫌です。
諌早と島原を結ぶ島原鉄道が道路の横を走っています。いつも1両、わりと頻繁に走っていました。
諌早は干拓事業で有名です。堤防道路の標識に誘われ251号線から外れて行ってみました。広々としたきれいな道に殆ど車はなく快適でした。これ、堤防の上の道路です。向こう側の高来町までつながっているのです。
水門を開けろとか、開けるの反対とか干拓事業が良かったのかどうか私にはわかりませんがすごいことをやったもんだと思います。
天気の良いのは有難いのですが、日差しが強すぎて暑くなってきました。
さー寄り道はこのくらいにして、ホテルへ行こう、と真面目に諫早駅を目指して走ったのですが、やってきたのは本諫早駅。ここから目的の諌早駅まで結構ありました。
途中に出てきた眼鏡橋。諫早の観光名所だそうです。それよりホテルは???
眼鏡橋から駅に向かって川沿いにぶらぶら走っていたらママチャリに呼びかけられました。自転車大好き女子学生とのこと。「自転車で全国旅してるなんて羨ましー!!」、「50年たったら出来るよ」、と話して、信号で停まったらなんとそこがホテルの前。この子に話しかけられなければまだまだ駅に向かって走ってしまうところでした。この子は良い子です。
この旅は大分から阿蘇を越えて熊本へ、そこからフェリーで島原へ、、、そしてようやく諌早へたどり着きました。なんと、諫早では同じホテルに2泊して、翌日は列車で長崎市へ行って観光です。左の写真のような気分です。諫早のホテルの反対側にありました。
長崎平和公園、遠くに祈念像、そこまでの両側に当時の刑務所の土台が残っています。
祈念像は想像よりもとても大きかったです。像があるとすぐ真似をしたくなってしまう私ですが、さすがにここでは憚られました。
平和公園にほど近い大浦天主堂にはヨハネパウロ2世の像がありました。ここでも真似はよしました。
三浦環さん、ここでは我慢できませんでした。グラバー園で。
マキシミリアノコルベ神父、とその愛車。自転車に乗っていたんですって。アウシュビッツで収容者の身代わりになって死刑になったという神父様です。9月にアウシュビッツへ行ってきたので知ってました。
やって参りました軍艦島。昭和49年に閉山になった三菱海底炭鉱の地上部分です。
長崎桟橋からおよそ19km。今は全くの無人島ですが当時は酒場、映画館、学校などすべてのものがあり、ないのは火葬場と墓場だけといわれるほど栄えていたそうです。
地上から600m下り、横に1km以上あった横穴からさらに300mも下って掘っていたそうです。1日3交代、24時間稼働だったそうです。
日本で最初の鉄筋コンクリートのアパート群、跡です。最盛期には小さな島に5,000人も住んでいたそうです。どんな暮らしだったのか想像できません。
長崎には修学旅行と思われる高校生が来ており、班行動をしているのを沢山見ました。私たちも修学旅行のようでした。橋の無い思案橋で。
この日は長崎ちゃんぽんならぬ五島うどん。細めで美味しかったですよ。
翌日、この日は諌早から吉野ケ里公園までは長崎本線で、そこから自転車で柳川へ走り、柳川で最後の晩餐の予定です。
朝、小雨。ホテルから駅まで400mほどあるので、駅までは自転車で走って駅で袋入れ。
吉野ケ里公園は特急が止まりません、諌早7時54分発、鳥栖行き、普通列車の予定です。ホテルの朝食は7時から、食べてから駅へ行って袋に2台入れて、54分で全部やる自信がないということなので食べずに6時半にホテルを出ました。袋へ入れて、ホームに2台置いて、、、、さてそれからどーしたでしょうか?
そーなのです、しぶとくホテルに戻り朝食を食べて、それからまた駅へ帰ってきたのです。朝食付きの料金ですもの、もったいないでしょう?すごい豪華でしょう?
私たちが乗る諌早で ほとんどの人が下りてしまい、車内は貸切状態でした。
長崎本線は有明海に沿って海のすぐ近くを走ります。ホームの向こうは有明海です。
【第23回】 九州 (大分、熊本、長崎、佐賀、福岡) 後編 ⇒
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