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自転車で日本100名城ツーリング 伊賀上野城 2 第18回

  第18回 伊賀上野城の回 ページメニュー  
  【その一】伊賀上野城に登城しました。  
  【その二】 忍者屋敷、その後、本物の忍者のアジト。  
  【その三】 自転車旅に役立つアイテム:シェファードアイアンF + K-WIND  
  【その四】 今回の城攻めは…  
 
   
 
 
 
  【その二】: 忍者屋敷、その後、本物の忍者のアジト。

 
  日本100名城 伊賀上野城  
【コメント:阿部ちゃん】
公園の敷地内には忍者屋敷がございます。元々市内の奥地にあった建物を現在の地へと移築して公開しているとのこと。外観は何ら変わった様子はありませんが。
 
         
   
入口にはこのように表札が設えてあります。ここでようやく人の家ではないことがわかります。助かりました。
 
         
   
さすがです。これが伊賀流のおもてなし。桃色装束は忍びの者として正しい選択だったのでしょうか。
 
         
 
 
この方は屋敷内を案内してくれる地元のくノ一様です。壁の前で現代忍者学の講義を始めてくれました。我々以外に20人ほど参加していました。
 
         
   
説明しながら突然消えたりします。当然みんな驚きます。2秒ぐらい狐につままれた顔を浮かべております。

 
         
   
ご安心ください。このように壁がクルクル回る仕掛けになっております。神隠しにあったと思っていた見学者達は一斉に胸を撫で下ろしました。
 
         
 
 
床にも仕掛けが施されております。危険を察したのぶ蔵がすかさず仕込みに手を掛けます。結果何も起こりませんでした。

 
         
 
 
さらに奥へと進む地下ルートが存在します。心なしか近代的かつ厳重な施しに緊張感が高まります。

 
         
 
 
博物館へつながる道だったようです。忍者といえば手裏剣。
 
         
   
手裏剣といえば寝打ち。この態勢の場合の対象物は一体何なのか。忍者は突飛なスタイルを作りたがるようです。
 
     
 
 
展示物を直に触れるコーナーもありました。血気盛んなのぶさんはこういうものを目にすると全体的に体の震えが止まらなくなるようで、時折誰にも見えない敵と戦おうとする癖があります。
 
     
 
 
恐らくこれを被った歴代の人たちの中で一番マッチしていたのではないでしょうか。自分でも自覚しているらしく、この通りご満悦。
 
         
   
最後にアテンドくノ一様と貴重な一枚。忍びを生業としているにも関わらず、無茶な要望にお付き合いいただきましてありがとうございました。この直後私の右隣は煙しか残っていませんでした。
 
         
   
コメント:のぶ】
戦国時代に本物の忍者集団が拠点にしていた砦を探しにいきます!伊賀上野城から東へ11kmでございます。
 
     
 
 
すぐに町並みが消え、ほとんど辺りは荒野となってきました…
 
         
   
百地丹波守(ももちたんばのかみ)城、通称「百地砦」。伊賀の三大上忍と呼ばれる百地丹波のアジトです。
 
         
 
 
空掘、堀切で区切られた曲輪跡が残っていて、山城に迷い込んだ雰囲気があります。

 
         
 
 
自分に逆らう連中に容赦しない織田信長は、伊賀に攻め込みました。世にいう「天正伊賀の乱」の舞台がここ百地砦。
 
         
   
ふつう上忍というと姿を見た者もなく、正体不明なのですが、百地丹波は織田信長軍とこの砦で戦った記録が残っています。
 
     
 
 
織田軍に敗北して百地丹波は生き延びたのか死んだのか、その後の足取りは分かっていません。
 
         
   
これは何か忍者的な儀式の跡なのでしょうか。全く不明です。
 
         
   
こちらは何やら触発された旅人。意味はありません。
 
     
 
 
日没前に宿へ引き上げます。次回は同じ三重県の松阪城へ。
 
 
 
 
 
 
その三:自転車旅のお役立ちアイテム:シェファードアイアンF + K-WIND 
 
         

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