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奈良・大阪 その2

 
 
   
 
お坊さんに天気を頼んでもダメとわかったので、テレビ頼みにしました。今日は完全に晴れの予報です。
   
 
 
 
   
 
予報通りでした。道幅も広く、側道も1mほどあり、快適な走り出しでした。
   
 
 
 
   
 
橿原から大和高田へ戻り、そこから竹ノ内峠を越えて堺市までが今日の予定です。大和高田あたりまではまだまだ快適でした。
 
 
 
 
   
 
165号線、166号線、竹ノ内街道と訳なくいける筈だったのですが…どこで間違えたのか細い道になってしまって古い屋敷が出てきてしまって…。
   
 
 
 
   
 
飲みたくもないコーヒーを飲んで、道をきいて…。
   
 
 
 
   
 
トーチャンいつもの動物的勘はどーしたの?うーん、方角としてはあの丘越えて海の方へ出れば堺市なんだけどな…。
   
 
 
 
   
 
そんじゃまぁ、こっちの方へ行ってみようか…。何しろ西へ行けばいいんだよね?この電車何線?東上線、西武線、東急線などなど関東の電車ならわかるのですが、こっちは全くわかりません。朝早いのと天気の良いのでまだ救われています。
   
 
 
 
   
 
道しるべはあるのですが、そこに書いてある地名がどの辺かがわかりません。もうもうヤマ勘です。
   
 
 
 
   
 
竹ノ内峠、が出てきたときには正直ホッとしました。
   
 
 
 
   
 
勾配もそんなに急ではないし…と思ったのに苦しいのです。
   
 
 
 
   
 
狩勝峠だって、阿部峠だって、越えたのに、越えたのに……
苦しくて自転車を降りてしまいました。怠けたことの付けです。
   
 
 
 
   
 
なんとかようやく大阪府入り。
あとは下るだけ。
   
 
 
 
   
 
…の筈だったのですが、富田林、、などなどから堺市に出るまでにまだ小さな丘を越えるのです。またまたわからない電車の踏切です。
   
 
 
 
   
 
そこからひと山越えて、幹線道路沿いを走るのですが、幹線道路が跨線橋になってしまうと側道をえっちらおっちら。大阪は、堺市は自転車の街と聞いていたのですが、ちっとも優しくありません。偉い人は自転車で走ったことはないのでしょうね。
   
 
 
 
   
 
ひどいところは歩道橋を押して越えなければならないのです。
   
 
 
 
   
 
堺の街で竹ノ内街道の道路標識を見つけました。堺に集まった荷物を大和の都へ運ぶ街道が竹ノ内街道、昔は重要な街道だったそうです。
   
 
 
 
   
 
道に迷うは、峠道はきついは、道路は怖いは、日差しは強いは、堺市に着いたときはへとへとでした。そこでトーチャンの奥の手、知り合いの自転車屋さんにお願いして自転車を送り返してもらうことになったのです。なーんて、前もってお願いしてあったんですけどね。親切にしてくれた自転車屋さんの前で。
   
 
 
 
   
 
自転車を降りてモー動けない表情です。
   
 
 
 
   
 
堺市といえば、昔は鉄砲鍛冶の街だったそうです。現在も残る鉄砲鍛冶の家。当時の鉄砲。
   
 
 
   
 
堺市は、鉄砲鍛冶が、刃物やさんになり、自転車部品の街になったのだそうです。その自転車部品を代表する企業が作った自転車博物館、サイクルセンターを見てきました。私の乗っている自転車と同じメーカーGTが飾ってありました。
   
 
 
 
   
 
堺で有名なものといえば、千利休も忘れてはいけません。千家一門の墓のある南宗寺へ行ってきました。奈良のお寺とは違う趣というか、時代の近さを感じました。
   
 
 
 
   
 
ワルシャワ駅前の自転車、なんて嘘です。実はこれは大阪箕面駅前です。
4年間大阪勤務だった娘が東京勤務に戻るから箕面でも行くかと行ったところで出会いました。
   
 
 
 
   
 
4年間大阪勤務で、東京に戻れるのは嬉しいけど、あと1週間となると親切にしてくれた大阪の人達との別れに複雑な気分のようです。
   
 
 
 
   
 
私は純粋に娘が帰ってくるのが嬉しいのですが……。
んでもってこうなるのです。
   
 
 
   この歳になると衰えるのが驚くほど早いことに気づかされました。前回の京都が終わってたった3ヶ月自転車に乗らなかっただけなのにこんなに弱くなっているとは思いませんでした。自分ではたった3ヶ月と思っているのですが、年齢からいえば3ヶ月も怠けていたと考えるべきなのでしょうね。
 この先このペースで衰えるとしたらよほど心して励まなければと感じています。衰えると大したことない坂がつらいのです。辛いとやるのが嫌になります。このサイクルに入ってしまったら47都道府県など夢のまた夢になってしまします。
 ピッチを上げてあと14都県、九州では阿蘇山を大分から熊本へ抜けるというのです。11月には沖縄で城攻め組と偶然に遭遇してしまうのだそうです。せっかく沖縄へ行くのだから沖縄本島最北の辺戸岬へ行くと言っています。宮崎と鹿児島では、都井の岬を見てこようと張り切っています。最終はトーチャンの実家のあった港区から、RPJの事務所のある池袋まで走って、事務所の人たちに47都道府県完遂を祝ってもらうのだそうです。何とか年内に池袋まで走りたいと思っています。

 今回は奈良県の道路の分かりにくさ、お坊さん頼りの天気、土地鑑の無い地方の難しさ、大阪の道路事情の悪さなどあまり良い印象がありません。きっと体力の衰えのせいで楽しさを感じる余裕がなかったのだと思います。
 ペースを上げて各地の楽しさをお伝えできるように頑張ります。次は多分九州だと思います。それまで体力づくりに励みます。
   
 
       

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