プロジェクト135パート2 第18回 (モロッコ)ヴォルビリス 古代遺跡

 ヴォルビリスは、北アフリカにある古代ローマ都市の、最良の保存状態を誇る遺跡のひとつとしてユネスコの世界遺産に登録されています。古代にはヴォルビリスはローマ帝国の勢力範囲の西限に位置する重要な都市で、建造されたのは、西暦40年頃とされていますが、この町は紀元前3世紀来のカルタゴの施設群の上に築かれたと推測されているそうです。

 いずれにしても、とても古い遺跡で、当然今は誰も住んでいません。前回のマラケシュの旧市街のように現在でも人々が活動している遺産とは全く違う趣きです。

 
■今回場所は
 

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さて、これは何をしているのでしょうか?星を観測する天文台?違います。
 
こうやって皆で入るお風呂の跡です。
 
はい、それではこれは何でしょう?オリーブ油を搾る施設です。
 
こんな建物の中にあります。
 
ズラーっと見廻すと、全体はこんな感じの遺跡です。ところどころにモザイクでいろいろな絵や模様が描かれています。
 
地面(建物のなか)にモザイクで描かれた絵が、2000年近く経った今もこんなに鮮やかに見えるのは何故でしょう?
 
この絵はデサルターの家床にあるモザイクです。デサルターというのは、ギリシャ語で馬から馬へ飛び移りながら2頭以上の馬を一緒に走らせる、サーカスでの人気種目だったそうです。
 
騎士の家のモザイク。バッカスがナクソス島の海岸でアリアドネが眠っているのを見つけたというギリシャ神話の一幕を描いているそうです。
 
ヘラクレス功業の家。ヘラクレスはギリシャ神話上、12の功業を果たす訳ですが、その様子がこんな風に床一面に描かれています。
 
近くで見るとこんなに鮮やかで、モザイクというのは2000年経ってもこんなに残るのか、と感心してしまいます。
 
ガリエヌス帝の浴場。ローマ時代の浴室は中温浴室、高温浴室、冷浴室、熱気浴室などがあったそうです。現代のスーパー銭湯みたいですネ。
 
これも浴室の一部です。
 
これが、浴室に至る水路のあとです。
 
モザイク、浴場、オリーブの圧搾施設などそれぞれの部分も印象的ではありますが、この遺跡の素晴らしさは、40ヘクタールにも及ぶ広大な地域に点在する古代建築のスケールにもあると思います。
 
遺跡のなかで最も大きなモニュメントであるバシリカ礼拝堂です。
 
神殿のあとです。
 
・・・・・・。
 
カラカラ帝の凱旋門。私の方が大きく見えますが、そんな事はありません。
 
実際はかなり大きなものでした。212年、当時の皇帝カラカラが「アントニヌス勅令」という、ヴォルビリスにとってとても有難い勅令を発してくれたことに感謝を捧げて建造されたのだそうです。
 
ところで皆さんはモロッコの国旗をご存知ですか?紅地に緑の星です。私は知りませんでした。これは、遺跡の入口に掲げてあったモロッコ国旗です。
 
これが西暦40年頃ローマ帝国によって建てられたとされる建築物の遺跡で、その下に紀元前三世紀頃のカルタゴの施設群が埋まっているんですって。どうやったらそんな事が解るのでしょう?
 
ところで、「ヴォルビリス」の名はベルベル語でキョウチクトウの意味で、このあたりでは一番ありふれた花だったそうです。写真の花はキョウチクトウではありませんが、2000年前の当時にも咲いていたのでしょうか?
 
下手な写真ですが、遺跡の入口にあった、ローマ帝国の当時の版図を現した物です。イタリアや、ギリシャ、トルコ、スペインなどと地中海をはさんで北アフリカ各地と思われます。左端がモロッコですね。
 
そのローマ帝国の前に紀元前300年頃にカルタゴがあって、、、モロッコには紀元前1600年頃からベルベル人が住んでいて、、、と遺跡の中で物思いにふけるひとときもありました。なーんて実はお腹の空いたポーズです。
 
ベルベル人と言えば、たくさんの部族があって、相互の結婚は出来なかったそうです。どこかに部族別の入れ墨などをしていたそうです。
 
この日のお昼はモロッコサラダと、、、。
 
ビーフとジャガイモのタジン、、、。
 
オレンジとバナナでした。
 
エッ、今回はビールが出て来ないって?良く聞いて下さいました。イスラム圏のモロッコは基本的に皆さんあまりアルコールは召し上がらないのです。ホテルによってはレストランでアルコールのサービスなし、ビールを出してくれないのです。その上、あってもまー、本当にお高いのです。このカサブランカという小さなビール、ホテルのレストランで70DH(×130=円)ですョ。そんなに飲めませんて。きっと、アルコールは罰金価格なんでしょうネ。
 
今回のヴォルビリスの古代遺跡は、歴史に造詣の深い方々には大変面白い所だと思います。残念ながら浅学無知の我が夫婦にはちょっと難しすぎました。まー、例によって帰ったら歴史の勉強しよう、とは思いましたが、、、。遺跡の中ですから、当たり前ですが自転車は走っていませんでした。何でもありの市場もありませんでした。現地の人達の喧騒もありませんでした。
 そもそもプロジェクト135は二人の年齢合わせて135歳になろうという時に、2つの目標をかかげてスタートしました。その1つ、四十七都道府県を自転車で走る事は、昨年パート1で達成出来ました。第2の目標、合わせて135kgについてはほとんど達成、あと二人で1kgぐらいのところまで来ました。

 パート2の世界遺産の旅は今回で18回、このペースでいくと135の世界遺産を廻るのにあと5年ほどで達成出来るかも知れません。よし、プロジェクト135パート2世界遺産の旅は目標135ヶ所にしよう、と盛り上がっています。まてまて、今年の私の誕生日で二人合わせて140歳になってしまうでしょ、5年といったら二人で150歳になっちゃうよ、とちょっと現実に引きもどされています。でもやってみます。お付き合い下さい。

 今回は、正直にいうと、あまり面白くありませんでした。イタリアやギリシャの遺跡の方が迫力ありました。これだけの為だったら遠くモロッコまで来ないでしょう。でも、まだまだ来たかいのあるモロッコが続きます。お楽しみに。

 
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