プロジェクト135パート2 第17回 「モロッコ、マラケシュ」 その1

 マラケシュはアトラス山脈の北に位置するモロッコ第三の都市(第4位との説もある)です。世界遺産の旧市街は東西2km、南北3kmの城壁に囲まれており、北アフリカでも最大の規模で、王宮のほか、バイア宮殿、アサド王朝の墳墓群、ベルアベ陵、アグダル庭園などが含まれています。なかでも、ジャマエルフナ広場は、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。文での紹介より見ていただいた方が早いですね。
 
■今回場所は
 

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これがマラケシュの無形文化遺産です。左の人が、エッアンタ本当にやるの?みたいな顔。右の人が、この人、あと知らないからね、みたいな顔してます。だってマラケシュは楽しかったんです。
 
前回のアイット=ベン=ハドウの集落から、再び両側一車線の道路をひた走り、アトラス山脈を南から北へ越えるのです。周囲は相変わらずカスバが続きます。
 
登るにつれて城壁のない、ただの集落も見えてきました。時代が下って襲撃などの心配がなくなった時代のものなのでしょうか?
 
着きました。標高2260mのTICHKA峠。この道路が出来るまではアトラス山脈の西のはずれ、大西洋岸をまわらないと、山脈の南北は交流できなかったそうです。
 
フランス統治時代にこの道路は作られたそうですが、見て下さい、正に命がけ、スリリングな一時でした。山脈の北と南は、全く別の国だったのでしょう。
 
見てください。街道沿いの集落は、日干しレンガで崩れかけたような家が多いのですが、ほとんど皆パラボナ付きです。モロッコ人は大のサッカー好きで、何がなくともサッカー観戦なのだそうです。
 
昔はモロッコのナショナルチームも強くて、"アトラスのライオン"とニックネームが付いていたのだそうですが、今では"アトラスのネズミ"と言われるほど弱くなってしまったのだそうです。ライオンを目指すネズミ。
 
峠を越えて北側へ下る道は次第に緑が濃くなってきます。
 
雲南省元陽の棚田、とまではいきませんが、山の多い地域では国に関わらず段々畑を作るものと見えます。
 
さーて皆さん、これは何をしているところでしょうか?私、知らなかったのですが、今、化粧品で、アルガンオイル入りというと高級なんですって?これアルガンの実を殻から取り出しているところです。
 
それを、こうやって搾ってアルガンオイルにするのです。ベルベル人達が出て実を取って来るのだそうです。これはお土産物屋さんのアトラクションですが、とても少なくて貴重なんだそうです。ご存知でした?グループの中で知らなかったのは私だけのようでした。
 
マラケシュ旧市街の重要な輸送手段にロバさんがあります。
 
馬車もあります。
 
皆さんとても大人しそうで働き者です。
 
人を乗せる馬車もあります。一時間乗って100HD(1300円)ぐらい。気楽に乗れます。
 
さて、これは何でしょう?スパイスの山です。
 
ここにも。
 
ここにも、あそこにも。モロッコの料理は特別スパイシー(辛い)とは思いませんでしたが、複雑な香りというか匂いというか臭みというか、たくさんの香辛料を使うのですね。日本食のダシの文化からは程遠いものでした。
 
市場や路地で売っている物の中で、果物の占める率はかなりのもの。イチゴだけ!といった屋台です。
 
オレンヂ。とても甘かったです。
 
なつめやしの実。これがサバクの生活を支えているのだそうです。値段はピンからキリまで。
 
こんな感じでどこまでも続きます。
 
肉屋さん。あまり詳細に、しげしげと見ない方が良いのかも知れません。
 
モロッコには食肉処理場などないのかも知れません。というか、各店が処理場になっているようです。
 
お口直しにお魚などいかがですか?市場はたくさん見ましたが、魚屋さんはこの一軒でした。
 
それでもって、料理をするのにタジン鍋も必要ですよね。
 
さーそれではスーク(市場)を抜けて、マラケシュの観光名所を紹介しましょう。遠くに何やら塔が見えて来ました。モスクに連る塔をミナレットというのだそうです。
 
門を通ると細い通路を抜けて、、、、、、。
 
アサード朝の墳墓群へ出て来ました。手前のモザイクがあまり偉くない人々のお墓です。といっても王朝に関係ある人々です。
 
一番美しいといわれるアハメッド・エルマンスールのお墓を見るには行列です。
 
私達は有名なお墓を自分から見に来たのですが、ここは現地の小学生も社会科(?)の授業で連れて来られていました。彼らにはお墓よりも見知らぬ東洋人の方が興味深そうでした。
 
ようやく目的の一番美しいお墓にたどりつきました。モザイクが素晴らしかったです。
 
モザイクといえば、このように職人がコツコツと石をきざんで貼り合せるのですね。この写真はモザイク工房を訪ねた時のものです。
 
モロッコではモザイクが至る所に使われています。通路の両側にも。
 
床にも、壁にも、モザイクです。
 
マラケシュの自転車達です。走っていなくて停められているのが多かったです。
 
たまに走っているのがいると、空気入れてやって、と言いたくなります。
 
この日のお昼はレモンピール入りチキンタジン。いろいろなタジンが出ましたが、この日のタジンは美味しかったです。
 
サッ、いよいよマラケシュのハイライト、無形文化遺産であるジャマ・エル・フナ広場へ繰り出します。大通りで馬車を降りて、、、。
 
ナツメヤシや日用雑貨などなんでも売っているメディナ(旧市街)を通り抜け、、、。
 
ジャマ・エル・フナ広場へ到着です。ジャマエルフナと言うのはOjemaa el Fna、死人の集会場という意味だそうです。不気味ですね。
 
この広場が何故無形文化遺産かと言うと、広場いっぱいに出る屋台、ジュースや食べ物など、と各種の大道芸人のパフォーマンスが他にないのだそうです。
 
その大道芸。気味の悪い男のベリーダンス、芸もしないただの猿見せ(廻らない)、高校生にも出来そうな軽業、とても拍手なんかする気になれないものばかり。そのくせ、写真撮った、金出せ!と迫るのです。
 
へそ曲がりの私達は、写真なんか撮ってやるか、とミントティーを飲みながら定点観測を楽しんだのです。この方が人々を観察できて楽しかったです。
 
マラケシュの夜は楽しかったのです。騎馬隊の迎えが有り、、、。
 
受付のお兄さんの挨拶を受け、、、。
 
現地音楽隊の栄誉礼を受け、、、。
 
ベルベル族の歌を聞き、、、。
 
ままーまーなどと誘われ、、、。
 
こんなことになってしまったのです。
 
今回は何と連れ合いまで歌いだしたのでした、、、。
 
本当はベルベル人部族の踊りと演奏のあと、野外騎馬ショーのあるアトラクションへ行ったのです。マラケシュは楽しかったです!!
 マラケシュは1070年頃ベルベル人の最初の国家ムラービト朝が都市化を始めて、現在でも広大な城壁に囲まれた旧市街(メディナ)がある世界遺産です。いろいろな世界遺産を見て来て、その歴史や由来を学ぶ事でなるほど、とその世界遺産の意義を知る事が多い(石見銀山などがその好例です)のですが、マラケシュは違いました。何も知らなくとも楽しかった、面白かったです。旧市街の路地は何でもありでした。売っている物も、歩く方法も、気の弱い人にはとてもオススメできませんが、私達のように知りたがり屋、見たがり屋にはこの上なく楽しい所でした。肉屋さんなんか神経質な人には嫌でしょうが、私達には面白かったです。次回もまだまだ面白いモロッコが続きます。お楽しみに。
 
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