自転車旅行 第32回 鹿児島、宮崎県

 夫婦の合計年齢135歳だった私達が、日本全国47都道府県走破を目指して一昨年7月から始めたこのプロジェクト135ですが、いよいよ終盤に差しかかって来ました。今回の鹿児島、宮崎を終わると残りはいよいよゴールの東京都のみとなります。
 最初の一年はほとんど変速機の使い方も分からず、何度も押して歩きました。
 二年目の去年は体も慣れてきて、変速機の使い方も分かってきて、ほとんど押さずに走り切れたと思います。コース選びも上手になったのでしょうか?
 三年目の今年はブランクが長すぎて去年より疲れを感じるような気がします。ブランクのせいだけでなく歳のせいかもしれません。
 今回は旅の初日に九州が梅雨入りしたとのニュースで心配でしたが、何とか濡れないで済みました。ちょっとズルしましたけど、、、。前回の愛知県から日を置かずに、身体が慣れているうちに出かけました。
 
■今回場所は

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  朝6時の羽田空港は閑散としています。お目当ての便は空席があり、一人12,000円のシルバー割引OKでした。
  空港で自転車を預けてしまえばあとはのんびり、朝のコーヒーが楽しめます。
  鹿児島空港から市内中心部までは高速バスでおよそ40分、バスのお腹に自転車を預けて楽ちんです。
  ちょっと困ったのは、バスの終点の市役所前が何もない道路っぱたなのです。
失礼してよそ様の駐車場で組み立てさせてもらいました。
  桜島フェリー乗り場までは、ほんのひとっ走り。フェリーは15分おきに出ています。
  フェリーの中はガラガラでした。
  この日から九州地方は梅雨入りとかで、桜島はほとんど雲の中でした。
乗るときも、船を出る時も料金を取らないので、道路と同じでタダなのかと思いきや、そんなはずはありません。
 
  200mほど先に高速道路の料金所のようなところがあり、ばっちり集金されました。定期券の人も多かったようです。
私達は大人2名と自転車2台で500円でした。
  私は葱塩ラーメン、トーチャンはミカンうどんでお昼です。
ミカンうどんはうどんそのものにミカンが練りこんであり結構おいしかったです。
  雨が降りそうなので急いで出発です。
トーチャンの自転車にも荷物がありませんでしょう?
実は最初の宿へ送ってあるのです。
  桜島の道路は側道も広く、車も少なくとても走りやすかったです。でも、起伏が多いのと、向かい風は難儀でした。
 走っていると、サングラスをしているのに目に何かが入ってきます。初めは分からなかったのですが、噴火の時の火山灰でした。山を背に向かい風なのに、、、と不思議に思っていました。これが、以前にあちこちに積もった灰というか小さな砂のようなものが飛ばされているのでした。
 
  道路傍には退避壕があちこちにありました。
  初日の宿は桜島の南側、鹿児島湾に面した古里温泉のシーサイドホテルです。
名前はすごいのですが家族経営のひなびた宿でした。
  このうらぶれた感じに騙されてはいけません。階段をどんどん降りると、、、。
  ありました!!海辺の露天風呂です。
  売れなくなった芸能人???かけ流しの温泉は濁っており公序良俗に反することもないだろうし、どこからも見えないから人様に迷惑もかからないだろうとやってしまいました。
私たちは大の温泉好きで、全国各地の温泉を随分たくさん経験していますが、桜島の古里温泉、ここはとても印象的です。
 
  東北の不老長寿温泉とか、新潟の瀬波温泉とか、海辺の温泉はいろいろありますが、ここほど人が少なくお湯も良く、見晴らしの素晴らしいところはあまり思い当りません。そーそー料理もおいしく、料金も納得できる内容です。
  その料理です。
きびなごのお刺身、煮つけ。
  鱶の酢浸し、黒豚のお鍋、焼き魚、その他、、、。
  そして宿の前の高台には林芙美子の歌碑があります。お風呂上りに最適です。
  夜中に降った雨も朝には上がりましたが、予報では午後から雨。いつ降り出しても不思議ではない空模様でした。
  今朝から、トーチャンは二人の5日分の荷物を運びます。これで上り坂も同じようにあえぐのです。イーのです、普段は家事全般私がやるのですから????
  垂水市を目指して220号線をひたすら走ります。
  垂水市に入るころにパラパラと雨が降ってきました。
暑くて嫌なのですが早めにカッパを着ました。
  せっかく着たのですが、じきに止んでしまい、鹿屋市に入るころはカッパ不要になってしまいました。
皆さん、鹿児島県鹿屋市というと何を思い浮かべますか?
 
  トーチャンは鹿屋航空基地だそうですが、私は何といっても鹿屋体育大学です。珍しい国立の体育単科大学なのです。
構内は広々しており、南国情緒豊かなキャンパスでした。
  鹿屋体育大学で忘れてならない人、それはあの柴田亜衣さんでしょう。何といってもオリンピックの金メダリストですもん。
大学には金メダル取得の記念碑がありました。
鹿屋市の志布志寄りに串良という所があります。そこにあるビシネスホテルxxxxというのが今夜の宿です。
 
  ビシネスホテルというイメージとは程遠く、敷地内にはヤギを放し飼い、周りは田んぼと、いも畑。
せっかく雨を逃げて昼前に着いたのに食堂は無いし、町までは5km、自転車ならすぐですとのこと。雨降るでしょう、、、と交渉の結果、、、、。
  何と、軽自動車を借りてしまったのです。
近所の温泉施設を紹介。そこに食堂もあるとのこと。
こんなの初めてです。
  ホテルの近くには黒牛の牧場があり、どうりでハエが多かったと納得です。
  大規模農家のサツマイモ植え付け風景です。
近所の人によれば中国から作業員を雇っているそうです。
  近所の普通の農家では昔ながらの作り方です。
この人が、あれは中国から雇っているんだと教えてくれました。
  その夜はバケツをひっくり返したような大雨で目が覚めてしまいました。
、、、が、朝には止んでおり、今日の目的地宮崎県都井岬を目指します。
私の後ろに写っているのが、かの有名なビシネスホテルxxxxです。よろしければ皆さんも一度如何ですか??ひっひっひっ、、、。
  串良から志布志までの道はあまり変化もなく退屈でした。
  水泳で有名な志布志高校、世界記録の横断幕が誇らしげでした。
  宮崎駅を出て、日南海岸を通って鹿児島県へ入り、終点が志布志のJR日南線。その終点、志布志駅です。
一両の宮崎行き列車が止まっていました。
  志布志から串間までは日南海岸国定公園沿い、景色の良い海岸線を気持ちよく走りました。
  いよいよこのプロジェクト135の46番目の県、宮崎県串間市に入ります。
トーチャンは地図を見るのが大好きです。目的地まで出来るだけ幹線道路を避け、アップダウンの少なそうな、よりショートカットできる道を探すのが趣味のようなところがあります。
 
  志布志から串間を抜けて都井岬へ行くのが一般的だと思いますが、トーチャンは途中から幹線道路を外れ海側の道を行く、というのです。日南線の駅に立ち寄って現在地を確認しました。
  結果、大正解でした、今回は、、、。幹線を外れた後は広い道だったり、狭くなったりしましたが、何しろ車が少ない、というよりもほとんどいない道ばかりでした。
  海沿いばかりでなく、畑の中も走りました。これは多分タバコだと思います。
  かくして串間の市街を通らずに、その先で幹線道路に再合流、いよいよ都井岬へ向かって登りが始まります。
  初めて岬馬に出会いました、なーーんてこれは作り物です。本物に出会えたなかった時のために念のため。
  突然ですが、宮崎県では自動販売機で焼酎を売っていました。
さすが、九州!!
  ここからの上りは今年最強でした。とても途中で写真を撮る余裕はありませんでした。天気も良く、ひと月分の汗をかいたような気がします。
登り切ったと思われるT字路で。
ツカレタ----っ!!!
  こんなに高いところまで登ったのです。もーやだ!!
  いたーー!!
都井岬を有名にした岬馬です。完全な野生だそうで、岬全体で90頭ほど生息しているそうです。最初に出会ったときは感激で疲れも忘れてしまいました。
  今夜の宿は民宿です。
さすが都井岬の宿、まわりの芝は馬が刈ってくれるそうです。
  宿は都井岬南灯台のすぐ近く、断崖絶壁の上にあります。でもこの灯台は都井岬灯台ではありません。南灯台です。本物の都井岬灯台までは宿から片道3kmの登り坂とのこと、とてもこの日に行ける状態ではありませんでした。
  この日の宿のご馳走はあご、トビウオでした。
丸ごとのから揚げは初めてでした。
その他、焼き物、刺身など。
  50畳はあろうかという大広間で、お客さんは私達だけ、気の毒なようでした。
 翌朝、朝食は7時から、とのことで、都井岬灯台へそれこそ朝飯前に登って来ようと出かけました。片道3km、宿へ来るまでよりももっと激坂とおどされ、歩いていくことにしました。朝5時に宿を出ました。
 
  九州は埼玉より一時間ほど朝も夜も遅いですね。まだ薄暗い中出かけました。遠くの山の上に灯台が見えるのですが、、写真でわかりますか?
  岬馬を見たり、海を見たりしながらせっせと登ったのに、、、。
  何と、灯台は9時にならないと開かないのです。九州でただ一ヶ所だけ上まで登らせてくれる灯台とかで期待していた分がっかりでした。
  片道3kmということは往復6km、お腹は空くし、疲れるし、もー今日一日分の運動をした気分です。
  昨日、大汗かいて登った分今日は下りが多いのです。
  岬馬も見送ってくれているようでした。
、、、と、前方から岬馬の一団が向かってきます。なにせ牧場の馬ではありません。完全に野生なので近づかないように、とあちこちに注意書きがあります。
 
  この後、右側へ出て一団とすれ違い事なきを得ましたが、かなり緊張しました。そんなに丁寧なお見送りを頂くほどでもないのですが、、、、なんて言えたのはもっと後です。
  岬馬の見送りを受けて、気持ちよく日南を目指します。概ね下りの時は心なしかポーズも様になっているように思うのですが、、、。
  日南温泉までの今日のコースが今回の旅で一番景色の良いところを走った場所でした。
  宮崎県は花が多かったです。
  日南市に入りました。宿まではあと20km。朝の歩きの分疲れが出てきました。
  そんな時、トーチャンは食べ物でつるのです。
宮崎県の果物といえば、そーです。完熟マンゴー。
一つ買ってお店の人に頼んで食べられるように切ってもらいました。切り賃100円でした。おいしかったーーーー。
JR南郷駅到着、本日の目的地日南温泉かんぽの宿まであと10km、もーへとへと。お腹すいたー!と騒いで見つけた食堂のざる蕎麦は抜群でした。普段に食べたらどーでしょう?
 
  この冷たいお茶。美味しかったのでポットのお変わりを頼んだら嫌な顔されてしまいました。ここまで二人で2リットル以上飲んでいたのに、それでも水不足だったようです。
  この食堂へこの車でやってきたおじさん。
例によって、「どこから来たの?どこ行くの?年齢はなんぼ?いつ頃からやってるの?」と定番の質問の後、「いーなー、うらやましいなー」と言われたのが印象的でした。
  今日は強い追い風、南郷から日南までの10kmは快調でした。
  日南駅に到着。かんぽの宿まであと3km。、、、ん、元気をだして、、、。
  日南温泉かんぽの宿、到着です。とてもいい宿でした。、、、が、例によって高台にあるのです。最後にいじめられました。
この宿を電話で予約した時に、とても感じの良い女性が、料理はどのようにしますか?と聞いていろいろなコースの名前を言ったそうです。
 
  良くわからないままトーチャンは料理長お任せコースというのを頼んでおいたのです。これが私にとっては大正解。何しろ豪華でした。宮崎牛でしょう、、、。
  、、、伊勢海老でしょう、、、照り焼きでしょう、、、。この年寄りがこれだけ身体使ってるんだからいいでしょう、、、。
東京で食べたら、全宿泊費よりも高いと思います。豪華な割に宿代は納得できるものでした。支払い担当のトーチャンが納得したかは知りません。
  本来の計画では、翌日は日南温泉から青島まで走り一泊。その翌日に青島から宮崎空港まで走って帰る予定でした。ところが、この日は雨。
  明日も雨の予報で予定変更、自転車に乗るのをここまでにして、輪行で帰ろうということになりました。
全行程走れなかったのは残念ですが、疲れていて内心ほっとしました。
そーと決まればここは日南。日南といえば飫肥城でしょうと出かけました。この名前、飫肥城をきちんと読める人は余程のツウです。
 
  沖縄の今帰仁城も読めませんでしたが、今回の"オビジョウ"も読めませんでした。"オビ天"とか"オビ杉"とかいわれてみればよく使われていますね。今では本丸はなく、大手門があるだけでした。
  飫肥城についてもっと書きたいのですが、日本100名城の一つだそうで、城攻めカウントダウン34回、飫肥城に詳しいので是非ご覧ください。ここ飫肥は小村寿太郎の故郷だそうです。等身大の銅像がありましたがずいぶんと小さな人だったのですね。
  飫肥でお昼を食べて、列車で青島へ移動しました。楽ですねーー。
  青島、かの有名な鬼の洗濯岩、午前中に飫肥、午後に青島、なまくらサイクリストの一日です。
  今夜の宿は典型的なビジネスホテル。夕食なしの予約で町へ出ました。
冷や汁、という名前にひかれたのですが、一種のぶっかけごはん。
、、、あまり美しくありませんね。まー昨日が豪華だったから今日はこんなもので。
  翌日、予報通り雨。もー宮崎空港まで電車しかありません。
  羽田空港では、坂戸駅行のバスまで時間があり、冷たいものなど飲みながら待ちました。空港バスが我が家の駅まで来ることは大変に便利です。特に自転車の様な大荷物を持っている時は乗り換えがなく有難いことです。娘にメールを入れて駅まで迎えに来てもらえば完璧です。
 楽しんできたプロジェクト135もいよいよ終盤になりました。今回の日程は梅雨入り前に気持ち良く行く筈だったのですが、例年より梅雨入りが早く、日程の初日と梅雨入りが重なってしまう始末。初回の山形の様な大雨にあったらどーしようと心配しました。幸運なことに夜中に降って朝には上がる日が続き、4日間は雨に濡れずに走れました。5日目、6日目は逃れようもない雨、、諦めのつく雨といいましょうか、輪行に変えるのに躊躇しませんでした。
 ここまで来ると輪行なんていえるようになるのです。いまだに自転車の組み立てや解体、分解は出来ませんが、輪行袋のたたみ方は早く美しく出来るようになりました。ライトの充電も私の係です。水というか、飲み物の手配も私の係です。でも一番大切なのは大荷物のトーチャンとだったらほとんど同じに坂道を登れるようになったことです。あのくらいの坂ならこのくらいのギア。このくらいの速さと判断できるようになったのが大きいと思います。
 楽しく続けられた理由の大きな要素に無理な計画を立てないこと。どんなに遅くとも3時ころまでには次の宿に着くことを心がけました。そのうえで、なまくらサイクリストに徹したことがあります。計画はあくまで計画で、実際には天気の具合や疲れ加減などで勝手に変更するなまくら許容度みたいなものが自転車旅を楽しくする大切な要素だと思います。なまくら許容度には二人とも自信があります。なまくら許容度の高さは自転車だけではありませんけど。
 目標の47都道府県まであと1つ、東京都を残すだけになりました。もう一つの目標合計体重135kgまで少し。今回の絵でビールを飲んでいるのが少ないと思いませんか?やるのです135kg。これはなまくらではできません。頑張ります。次回はいよいよ最終回、東京都をお送りします。それでゴールです。お楽しみに。
 
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