プロジェクト135パート2 第33回 (日本)琉球王国のグスク及び関連遺産群

 グスクというのは奄美大島諸島、沖縄諸島、先島諸島に現存する遺跡で、一般に「グスク」=「城」と漢字が当てられるようです。按司と呼ばれる支配者の居所と考えられ、沖縄諸島、宮古島八重山諸島に200から300近くあると推定されているそうです。
 今回、1999年に世界遺産に登録されたのは5つのグスクとこれに関連する4つの史跡で、この評価を見ると、登録されたグスク群の建造物や景観などの建築的・技術的価値の評価というよりも、むしろグスクの背景にある、グスクを生み出した琉球諸島の歴史と文化、精神性が現れていることを評価されたようだといわれます。
 不勉強な私達夫婦は沖縄というと1972年の復帰、第二次大戦の地上戦、さかのぼってもせいぜい仲間幸恵さんの「テンペスト」の時代あたりまでしか思いうかびませんが、どーしてどーして、琉球国中山の王舜天は流された源為朝の子だとか、平家の落人の伝説とか思いの外の歴史があるのです。実際に9ヶ所尋ねるのは大作業でしたが、なるほど、と思える場面がたくさんありました。
 
■今回場所は
 

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これが今回の5つのグスクのうち、いちばん北に位置する今帰仁城です。ナキジンと読みます。この写真のバックはカンバンです。
 
これが入口です。
 
反対側から見るとこんな具合です。
 
北は海。城壁がぐるりと城をとりかこんでいます。
 
今帰仁城は難攻不落の城だったそうで、中山の尚巴志の連合軍3,000が3日かけても落とせなかったのだとか
 
落とせない巴志は今帰仁の将軍本部平原を裏切らせ、1422年に謀略をもってようやく落としたのだそうです。
 
こんな城壁がぐるりと取り囲んでいるのですからいくら3,000の大軍でも正攻法ではなかなか落とせず、謀略を用いるしかなかったようです。3,000人というと大した事ないようですが、その当時の沖縄の人口が7万とか10万だったそうですから3,000人は大軍なのです。
 
城壁や門はかなり修復されていますが、城内のほとんどはこのように崩れたままです。
 
つわものどもの夢のあと、その当時にもこんな花が咲いていたのでしょうか?
 
築城の名手といわれた護佐丸、彼は今帰仁城攻めの中山王巴志連合軍の一員として今帰仁城を具さに見て、自分の城座喜味城を築城したのだとか。今帰仁城から座喜味城への移動の途中で食べた沖縄名物アイスぜんざいです。この日のお昼はこれだけでした。
 
やって参りました座喜味城跡。
今帰城から西海岸を、美ら海水族館のある本部町、万座毛のある恩納村などを通って読谷村にあります。
 
この城跡は今帰仁城よりかなり小さいですが、修復はほぼ完璧、城壁は何となく似ているような感じがしました。
 
門はとてもシンプルです。
 
外壁の内側にもう一つ門があります。
 
左手が外の門、右手が内側の門です。
 
ここから先は“いっちぇーならんどー”とのことで…。
 
さて皆さんこれは何でしょうか? そーです。骨壺です。これは高貴な方のもの。
 
これが一般人の骨壺だそうです。
 
それではこれは何でしょう? ガン(龕)といって、遺体を納めた棺を運ぶ道具だそうです。座喜味城のある読谷村では火葬場が設置された昭和34年以前は遺体を棺に納めてお墓に3年ほど納め、その後骨洗いして、お骨を上の骨壺に納めたのだそうです。
ちなみに夫婦で一つの骨壺に入るのだそうですヨ。???
 
その日の夕食は超豪華、関東飲茶食べつくしです。こんなに出て来て一泊6,500円ですヨ。フカヒレなんて食べてしまってから写真のない事に気がついてメニューを撮ったらピンボケ。でもおいしかったから良いのです。
 
これが朝食のバイキング。この外にビール券とワイン券がついてもう一度いいますけど、一泊6,500円。今までの旅行で一番得した感じです。どこだか知りたい方にはナイショでお知らせします。ご連絡下さい。???
 
中城(ナカグスク)城跡です。1422年、中山巴志の一員として今帰仁城を落とし、その後座喜味城を築城した護佐丸が1440年に移封されたのがこの中城城です。
 
当時の中山王尚泰久の婿で勝連城主阿麻和利が都、首里城を攻めるのではないかと心配した王が、阿麻和利を帝制する任務を帯びて中城に移封されたのだそうです。
 
このため阿麻和利は首里を攻められず、王に、護任丸が謀判を企てていると信じ込ませ、1458年、護任丸は夫人、長男、次男ともども自害したそうです。この城も正攻法ではなかなか攻められないでしょうネ。
 
私は護佐丸の守り犬です。
 
勝連城跡に来れば私は阿麻和利夫人百度踏揚(ももどふみあがり)なのです。我家の阿麻和利はどこへ行ったのでしょう? そーか写真撮ってたのですネ。
 
ここまで四つのグスクを見てきましたが、すべて高台にあります。山城というのでしょうか?
 
勝連城はあまり大きくありません。これが天守閣? ところで謀略で知将護佐丸を攻め落した勝連城主阿麻和利には恐れるべき相手が存在しなくなり、軍馬を整え中山(首里)攻略の計画を練りました。
 
この計画を中山王尚泰久の娘である夫人に付き添って来た大城賢勇がききつけ、夫人を連れ出し、首里へ向かいました。この階段を下りて行ったのでしょうか?
 
そして阿麻和利は勝連城攻めの大将となった大城賢勇に敗れ、その後勝連城は廃城になってしまったそうです。勝連城前の売店にいたこのおバさんに聞きました。
 
沖縄の民家は、普通に城壁のように石が積んであります。台風が多いからでしょうネ。
 
民家は軒先が広く、中が冷しくなっています。
 
郷土料理は全てヘルシーです。
 
道は細く、車はほとんど軽。こんな停め方出来ますか?
 
これ走りながら撮ったのですけど上手でしょ?
 
沖縄の自転車達
 
5つ目のお城、首里城です。
 
やはり中山王の城、一番大きかったです。
 
これが関連遺産群の一つ園比屋式御嶽石門です。私って小さいのでしょうか?
 
ここが今回の中で一番小さくてシンプルな世界遺産でした。
 
斎場御嶽です。琉球最高の聖域で、高貴な方々の儀式が行われた場所で、一般の人は近づけない聖所だったそうです。
 
御嶽の中の三庫里です。パワースポットでしょうか?
 
識名園、首里の王様達の別荘です。
 
全部で九つの遺産で一つの世界遺産なのですが、あと一つ玉陵があります。第二尚氏の歴代の墓陵でとても迫力があったのに、トーチャン電池切れですッテ。あっカメラの電池です。そこで入れ換えてから見つけた変なもの。これは何でしょう?
 
正解はおしぼりでした。
 いつもは現地を見てきてからネットなどを見ながら書くのですが、今回は珍しく予習をしてから行きました。予習の中で特に名嘉正八郎さんの書かれた「グスク探訪ガイド」を参考にさせてもらいました。素人にも分かりやすい内容で、歴史や伝説、コラムなどと写真も載っており興味深く現地を見る事が出来ました。もし沖縄の世界遺産を見に行こうと思う方がいらしたら、ボーダーインク社のこの本をお勧めします。
 沖縄は景色も良く、食べるものも美味、世界大戦では大きな犠牲を払った場所ぐらいの認識でしかありませんでしたが、予習をし、現地を見て完全に印象が変りました。日本、中国、韓国そして東南アジアの各国との諸文化間の交流の結果生み出された独自の文化が現代になお生き続けているのだと感じました。最近にないカルチャーショックといえるかもしれません。70年近く生きてきて、なおショックを受ける事が出来るのは幸せな事だと思います。今後も、もっと新しいことに出会えるように世界遺産の旅を続けます。次回は西ノルウェーのフィヨルドとブリッゲンの倉庫群、オーロラを見る旅へ行って来ます。ご期待下さい。