プロジェクト135パート2 第70回 (スリランカ)古代都市ポロンナルワ

 スリランカの最古の都アヌラーダプラ(第68回)が紀元前500~10世紀頃までシンハラ王朝が在ったのですが、途中5世紀にカーシャパ王がシーギリヤ (第69回) に一時都を移した以外は続いていました。11世紀に入り、シンハラ王朝はインドのチューラ王朝の大軍に攻められ、都をアヌラーダプラからここポロンナルワへ移したのです。首都が移る以前から仏教都市として存在していたポロンナルワは、シンハラ王朝による大規模な灌漑用貯水池や水路の整備によって農業も活発になり、13世紀後半にシンハラ王朝が中部へ移るまで首都として栄えたそうです。
 
■今回場所は
 

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これが11世紀から12世紀に造られた貯水池、「パラークラマ・サムドゥラ」と呼ばれています。
 
まるで海のようでした。ちなみにパラークラマ・バーフ王という人が造ったのだそうです。
 
大きな水路で田畑に流れ出しています。
 
これが人工の水路、しかも11世紀とか12世紀とかの話ですから感心してしまいます。
 
そしていよいよ遺跡です。クワドラングルと呼ばれる遺跡の中で一番大きい円形の仏塔ワタダーゲです。ちなみにクワドラングルというのは四角形の意味だそうで、その中にいろいろな遺跡があります。
 
ワタダーゲの入り口、左右にあるガードストーンが入り口から悪魔が入るのを防いでいるそうです。手前の半円形がムーンストーンです。
 
ムーンストーンは仏教でいう輪廻を表すもので、ここを参拝した人々は、このムーンストーンの上で足を洗ってから仏塔内に入ったのだそうです。
 
この仏塔は、ポロンナルワが首都になる以前、7世紀頃のものというのが通説だそうです。
 
中心にある仏塔を囲んで四体の仏像があります。
 
中には下半身だけになってしまっている像もありました。
 
違う角度から見た仏塔です。
 
それにしても、このような細かい彫刻がいたる所に施されているのです。この彫刻一つ取ってもなかなか。
 
これがワタダーゲの向かい側にあったハタダーゲという仏歯寺跡だそうです。仏像、彫刻がこれでもかというくらいありました。
 
サトゥマハル・プラサーダ。7階建ての塔です。ポロンナルワ全盛期には、タイやビルマからも僧が大勢来ていたそうで、これはタイから来た建築士が建てたものだといわれているそうです。
 
ガルポタ。石の本と呼ばれる石碑です。長さ9 m、巾1.5m、厚さ44~46cmという巨大な石にインドの侵略者のこと等が彫ってあるそうです。ここまでが、クワドラングルの内にある遺跡です。
 
クワドラングルの外にもたくさん遺跡がありました。これはガイドブックに照らしても詳細不明な仏塔です。
 
あちこちに修道院跡があります。
 
また別の仏塔です。
 
ランカティラカ、お寺です。
 
門の上に絵があるのです。
 
13世紀のもので、屋外にそのままあるにしては保存状態が良いといわれたのですが…。
 
絵よりも彫刻の方がわかり易く残っています。
 
ランカティラカ寺院の外の彫刻です。
 
シンハラ建築のゲディゲという様式の浮き彫りの典型だそうです。
 
キリ・ヴィハーラ。真白い大きなダーガバ(仏塔)です。700年以上もジャングルの真っただ中にあったのに、オリジナルの塗りのまま、真っ白で見つかったのだそうです。
 
またまた別の仏塔です。
 
もー、仏塔、お寺、遺跡ばかりでアキタ、そーなのです、私も疲れてきました。でもあと一か所、ポロンナルワで忘れてはいけないガル・ヴィハーラへ参ります。チョット我慢して下さいね。
 
仏像に飽きちゃったから本物の象をお見せしましょう。これはシーギリヤからポロンナルワへ来る途中の道路脇にいた野良象です。
 
今スリランカにはおよそ400頭の野良象がいるそうです。野生象と野良象の違いはなんでしょうか?人間の生活圏に出てくるのが野良象です。本当は知りません、でも迫力ありましたヨー。
 
さ~本題です。これがポロンナルワ遺跡の傑作といわれる4石像、ガル・ヴィハーラです。
 
この涅槃像は写真では良くわかりませんが、全長14mという巨大な彫刻です。
 
足だけでもこんなに大きいです。
 
この立像の高さは46mもあるそうです。
 
この2体の座像を含めて全部で4体。これ全てが横に一枚岩に彫ってあるのだそうです。それぞれはやさしげな仏像でしたが、全体での迫力はかなりのものでした。
 
昨日のシーギリヤのあたりに比べて、この辺では自転車をあまり見ませんでした。地域性があるのでしょうか?
アヌラーダプラから11世紀にここポロンナルワへ移ってきたシンハラ王朝は13世紀後半になると、再びインドのチューラ王朝に攻められ、中部へ次々と首都を移していきます。ポロンナルワからダンバデニヤ、ヤーパフワ、クルネガ、ガンボラと移り、1474年からはキャンディを首都とします。シンハラ人の祖先はライオンだったといわれているそうで、現在の国旗にもライオンが使われています。ビールのブランドにも、ラベルにもライオンが使われています。スリランカにライオンは生息していないそうですが、シンハラ人は人口の70%も住んでいます。現在スリランカはシンハラ人の国といっても良いと思いますが、このシンハラ人を攻め続けてアヌラーダプラ、ポロンナルワ、キャンディと追い続けているのがタミール人、インド王朝、チューラ王朝でこのシンハラ人とタミール人の勢力争いは現代にも続いています。今は静かですが、スリランカ東北部には火種が残るといわれています。私たちが訪ねたときにその気配を感じることはありませんでしたが、シンハラ人とタミール人はなんとなくわかるそうです。人口の20%ほどもタミール人がいるのですから、いろいろあるのだろうとは思います。このような国に来ると、日本人で良かったと極楽トンボは感じるのです。次回は次の首都キャンディに行く前に、石窟寺院で有名な黄金寺院ダンブッラを紹介します。お付き合い下さい。
 
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