プロジェクト135パート2 第45回 (ポーランド)ヴィエリチカ岩塩坑

 13世紀から採掘が始まって、1996年に商業採掘が中止されるまで、ヴィエリチカ岩塩坑はポーランドの経済に大いに貢献してきたそうです。地下60mあたりから一番深い所で327mの地点まで、全長300km以上の坑道がくもの巣のように張り巡らされて、なかには岩塩で造った彫刻や礼拝堂までありそのスケールには驚かされました。今では観光地として有名になり、年間110万人もの人が訪れるようになっていますが、抗山特有の危険があり、坑夫達は信仰心から多くの宗教的な彫刻を残したものといわれています。所在地はクラクフ郊外、ポーランドの南部です。
 
■今回場所は
 

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いきなりですが、これは何でしょうか?
 
ジューレックというポーランドのスープで、ジャガイモ、ソーセージなどが入っていて、ポーランドでは日本の味噌汁のようによく出て来るものです。
 
これがポーランド餃子、ピエロギです。
 
そしてこれがデザート。しかしポーランドの人達は甘い物が大好きのようです。出て来るものを全部食べていたら帰って来たら2~3kg太ってしまうと思います。
 
いよいよ坑道への入口です。右側の女性が今回ポーランド全日程を案内してくれた現地ガイドのアンナさんです。左のオジサンがヴィエリチカの岩塩坑案内のガイドさんです。坑道の入口で、離れないでついて来ること、いう事きかないと300kmの坑道へ迷い込むヨ、とおどされているところです。
 
さて、木製の段々を下って地下63mの所へ向います。
 
こんな具合に、ぐるぐると見えないほど下までドカドカと歩くのです。
 
地下63m、歩いて下りるとかなりのものです。案内のオジさんに第二ボタンねだってしまいました?実はこのオジさん達、以前は坑夫だった人達だそうです。
 
坑道の壁は岩塩です。ナメてもイイヨといわれたのですが、…ネー。
 
昔はこんな風に作業していたそうです。
 
だんだんあやし気になってきました。
 
坑道内部はところどころ扉で区切られています。こちらの扉を締めないと、向こうの扉が開けられないようになっていました。
 
ところどころにこんな札がかかっていました。1649~1685年に掘っていた上の部屋とでもいうのでしょうか?
 
この案内があったら、あなたなら右へ行きますか、左ですか?
 
左はこんな具合の安全な道路。
 
右は行きどまりでした。
 
これも岩塩でできた彫刻です。
 
これはもっと大がかりな彫刻。この岩塩坑にあるほとんどの彫刻は坑夫が刻んだものだそうです。
 
出ましたヒゲジー、やはりこちらへ行くのでしょうネ。
 
昔の人はこのようにして働いていたそうです。
 
地下には馬も働いていたそうです。
 
このように何頭もの馬が働いていたのですが、一生上へは出られず、地下で働いたのだそうです。上へあげるのが大作業だったからだとか。
 
このように、ずっとずっと働いたのだとか。
 
この人が1日8時間労働を取り入れた王様だとか。これ以上働かせると長期的に見て結局効率が悪い事に気がついたのだとか。
 
これがその王様、かどうか知りませんが、その日に私達が泊った、王様が狩りの時に使った別荘です。
 
別荘でこれですから王宮はどんなだったのでしょう。
 
ポーランドの女性は自転車によく乗るようです。
 
そして、かっこ良く乗っていました。
 
この足の長さです。サドルも高いし、自転車もこんな風に乗ってもらえばうれしいでしょうネ。
 
ポーランドといえばヨハネ・パウロ二世です。宿の近くの教会にありました。これは色タイルで出来た絵です。
皆さん、今回、我家のトーチャンはとんでもない失敗をしてしまいました。何と、岩塩坑でフラッシュをたいてバチバチ撮っていたら、途中からいやに無口になり、写真を撮らなくなってしまったのです。バッテリーがなくなってしまったのです。その上、スペア―のバッテリーをリュックに入れたままバスの中に置いてきてしまったのだとか。本当にゴメンナサイ、あの王様のあとに、教会だとか、塩湖だとかこの岩塩坑のハイライトがたくさんあったのに、今回の“ヴィエリチカ”岩塩坑は“ヴィ”ぐらいしか紹介できませんでした。現地はもっともっと素晴らしいですヨ、ゴメンなさい。次回は南部小ポーランドの木造教会群を紹介します。大丈夫です。寝る前に必ず充電しますし、スペア―はポケットに入れて行くようにしますから。ご期待下さい。
 
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