プロジェクト135パート2 第29回 (ルーマニア)トランシルヴァニア地方の要塞教会群

 ルーマニアはROMANIAと書くように、ローマ帝国の属州としての時代が長く、東欧には珍しくラテン系の人々が多い国だそうです。近年共産党の一党独裁が1948年から始まり、チャウシェスクが第一書記に就任した1965年から民主化デモによってチャウシェスク政権が崩壊する1989年まで、人々には大変な時代だったようです。EUには加盟しているものの、民主化後25年ほどでまだまだ貧しさが感じられる国でした。今回紹介するトランシルヴァニア地方は13世紀から始まったハンガリー系、ザクセン(ドイツ)系の移住によって、それぞれの文化、建築様式を色濃く残した小さな村が点在しています。村の中心部にある教会の聖堂は見張り台の役割を果たして、その周囲には防壁が築かれました。これが「要塞教会」と呼ばれ、この地方独特の建築物で世界遺産として登録されています。
 
■今回場所は
 

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ブルガリアからルーマニアへは陸路、バスで入りました。ROのナンバープレートがルーマニアの車、BGのナンバーがブルガリアの車です。
 
ルーマニアに入って初めて見た自転車です。
 
こんな自転車もいました。
 
ブカレストの革命広場にある、旧共産党本部です。1989年12月の民主革命の舞台となった広場です。
 
チャウシェスクがここで民衆に演説する筈が、民衆は民主革命の為に集まっており、彼はヘリコプターで屋上から脱出したそうですが、つかまって翌日に処刑されたそうです。
 
チャウシェスクが日本円にして1500億円を投じて造らせた巨大な宮殿、現在は国民の館と呼ばれ部屋数は3100もあるそうです。
 
国民は飢餓を強いられていたのに、この巨大な(世界中の官庁、宮殿の中でワシントンのペンタゴンに次いで2番目に大きいそうです。)建物は何の為に必要だったのでしょう。当時9000件の家、20の教会などを立ち退かせて建てたそうで。25年もの独裁は、このように狂った物を作らせてしまうのでしょうか?
 
共産党時代の集合住宅が今も残っています。
 
国民の館に比べて、何と貧しげな家々でしょう。
 
馬車はルーマニアでは今でも大事な運搬手段のようです。
 
この旅で、かなりたびたび馬車に出会いました。
 
自転車もかなり普通に乗られていました。
 
スポーツとして乗っているより、実用的に使っているようでした。
 
これなどはファッションでしょうか?
 
やって参りました要塞教会の一つ、小高い丘の上で村を見下すように建っています。
 
なるほど、これが聖堂であり、なおかつ見張り台の役割も果たしたのですネ。
 
中は立派な教会です。
 
イコンも立派でした。
 
これは下から攻めるのは大変だったでしょうネ。
 
壁の内側にはいろいろな建物があります。
 
ここから敵を射ったのですネ。
 
遠くから見た要塞教会の一つです。
 
ようやく夕食です。おいしそうでしょう?
 
今夜はルーマニアの民族音楽つきです。
 
男性よりも女性の方がきれいでした。
 
ルーマニアのビール、いつも通りおいしかったです。
 
そしてデザートで今夜もお開きでございます。
 東欧だけではありませんが、共産党の一党独裁中でもチャウシェスクのように25年も独裁が続くと、何をやっても許される、と思ってしまうのでしょう。その後25年も経っていまだにルーマニアは貧しい国のように感じました。その反面、ローマ帝国から2000年も続く長い歴史に支えられ、ハンガリー、ドイツなどの影響を受けながら脈々と続く伝統のような物は、世界遺産に選ばれるに相応しい価値を感じます。ひとつひとつの要塞教会はそれほど大きなものではありませんでしたが、点々と似たような教会が数多くあるトランシルヴァニア地方は全体として後世に伝えるべき内容が十分にあると感じました。
 今回はトランシルヴァニア地方の中心、シギショアラを中心に紹介しましたが、次回は同じく要塞教会で世界遺産に選ばれたピエルタンを紹介します。
 
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