プロジェクト135パート2 第102回 (ロシア)フェラポントフ修道院

 正式名称は「フェラポントフ修道院の建造物群」で、2000年に登録されました。この修道院は1398年に聖フェラポントという人によって創建されたそうで、ゴリツィーというサンクト・ペテルブルクからも600km、モスクワからも600kmという場所に建っています。ここの聖堂は1490年代に建設されたロシア北部の建築物の中でも特に保存状態が良く、その内壁は、15世紀から16世紀に活躍したフレスコ画家ディオニシウスによるフレスコ画で描かれていることでも有名です。ロシアの北部、とても寒い場所で、私たちが行った10月3日は晴れていましたが最高気温が7℃、最低気温が3℃でした。冬になると-20℃とか-30℃とかになるそうで、小学校は-20℃で、中学校は-30℃で休校になるそうです。前回のキジー島に比べると時代は新しいせいか、なんとなく見慣れた風情の建物群でした。
 
■今回場所は
 

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見て下さい、北部ロシア、ゴリツィーの風景です。
 
そしてこれがフェラポントフ修道院の建造物群の遠景です。手前の大勢の人々はたまたま着いた観光客で、普段は人がほとんどいません。
 
この石造りの建物は、北部ロシアでは最大とか最古とか、1490年代のものだそうです。
 
最古か最大か忘れましたが、いずれにしても、日本でいえば関ヶ原の100年以上前にこんなの建てたんですからすごいですネー。
 
建物そのものは時代が近づけば、もっと大きなものもありますが、500年以上前にこんな辺鄙な場所に建っているのが人類の遺産として残すべきなのでしょうネ。
 
ネッ、ユネスコのマークがあるでしょ。
 
では、このカードは何のカードでしょうか?ソーです。写真撮ってもイイヨ、の許可証です。200ルーブル(400円くらい?)を払うと、内部が自由に撮影できるのです。
 
ところどころにこの左側のオバさんのような人が立っていて、それとなく見張っているのです。大きな声では言えませんが、同じツアーの日本人で許可証を買わずに注意された人がいました。恥ずかしいですネー。
 
それではお待ちかねディオニシウス(ディオニシー)によるフレスコ画の数々をご覧いただきましょう。
 
これがフレスコ画です。ご存知の方も多いと思いますが、フレスコ画とはまず壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」である状態で、つまり生乾きの間に水、または石灰水で溶いた顔料で描く方法だそうです。
 
やり直しがきかないので、高度な計画と技術力を必要としたそうです。
 
逆に、一旦乾くと水に溶けても滲まないことで、保存性に大変優れているといえます。
 
フレスコ画はルネサンス期にも盛んに描かれており、ラファエロの「アテネの学堂」やミケランジェロの「最後の審判」などが有名です。
 
建物の外観は白いシンプルな感じなのですが、内部は見事な画で、その保存状態も良く、見応えがありました。
 
ここのフレスコ画は600㎡ほどもあるのですが、12人の画家が34日間で描いたのだそうです。
 
やり直しのきかないフレスコ画は、十分に計画して一気に描き終えなければならなかったのでしょうネ。
 
この地方は当時経済的に豊かな地方で、各地から画家が集まっていたのだそうです。今、行ってみると、どこが豊かだったのか想像がつきません。
 
当時の修道士の食堂です。
 
背もたれがグルリと回って集会場の方を向いて座ることも出来たのだそうです。
 
当時の家具です。
 
民族衣装の現地ガイドさんです。左右の画も上の画も一つずつ熱の入った説明がありました。
 
中央の半分以上迷惑そうな顔をしているのが現地、修道院のガイドさん、右側の人が全日程付き合ってくれたロシア語/日本語ガイドさん、そして左側、得意気な東洋のオバさんが私です。
 
一部分剥げ落ちているのが有難み、なのです。
 
昔、フェラポントフ修道院はこんな感じだったのでしょうネ。
 
礼拝所、とても簡素で好感が持てました。
 
世界遺産フェラポントフ修道院の建造物群です。内部のフレスコ画の豪華さに比べるととてもシンプルです。
 
建物は、白い湖へ注ぎ込むシェクスナ川の畔、全く何もない場所に建っていました。
 
この日は今回の旅で一番良い天気でした。修道院の白がとても青空に似合っていました。何が嬉しかったのでしょうネ私。
 
そーです。トーチャンがビール飲ませてくれると言ったのです。
 
でも寒くて寒くて結局アイリッシュコーヒーとか、クリームとかにしました。暖かくて甘くて、美味しかったですヨー。
 
あっと、忘れちゃいけない、この日修道院への道で見た、たった一台の自転車です。ロシアには自転車が少ないですネ。天気が悪かったからか、田舎ばかり廻っていたからか?
 
そのかわり、というのもなんですが、ロシアには本当に驚くほど教会が多いです。船で旅していても、小さな集落になんでこんなに立派な教会があるのだろうと思うほど、次々と現れました。
 サンクト・ペテルブルクからモスクワへの船旅はここゴリツィーでちょうど半分です。去年ブダペストからバーゼルまで中欧を廻った船、セレナーデ号に比べると今回のラフマニノフ号はロシアの船でサービスは今一つでした。それと、ライン河などかなり開けた町の続くコースと、今回のように何もないロシアの原野を行くコースでは景色に変化がなく、退屈しました。ロシアへ来るのは初めてなので興味津々で来たのですが、今のところ主に原野ばかりで見たいと思っていたロシアはまだ見ていないような気がします。サンクト・ペテルブルクは大都市でしたが、その他は全く未開の地といった気がします。キジー島の木造教会にしろ、今回のフェラポントフ修道院にしろ、人里離れたというより、人のいない場所に忽然と大きな建物が出現して驚かされます。当時は近くに人がたくさんいたのでしょうか?それともロシアの人は遠くから教会へ集まったのでしょうか?いずれにしても、まだ納得できるロシアを見ていない気がします。そんな中で次回はもう少しモスクワ寄りのヤロスラブリの歴史地区を紹介します。お付き合いください。
 
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