プロジェクト135パート2 第78回 (オーストリア)ウィーン歴史地区

 前回の「シェーンブルン宮殿と庭園群」は、オーストリアで一番早く1996年に「ザルツブルク市街の歴史地区」と共にユネスコの世界遺産に登録されました。今回のウィーン歴史地区は2001年にオーストリアで7つ目の文化遺産として登録されたものです。ウィーンといえばハプスブルク家と切り離せない都で、当然王宮も、寺院も、公園もなんらかの形でハプスブルク家とゆかりのある建造物ばかりといって良いほどでした。
 
■今回場所は
 

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ウィーンといえば、シュテファン寺院です。12世紀半ばにロマネスク様式の教会として建築され、14世紀~15世紀にハプスブルク家のルドルフ4世によってゴシック様式の大教会に建て替えられたのだそうです。
 
この屋根のモザイクが、美しいウィーンのシンボルとして有名なのだそうです。
 
モザイク屋根は塔に登って近くから見るとこんな具合でとてもきれいです。
 
シュテファン寺院の塔から見たウィーンの街並みです。
 
何しろ私、高い所が大好きなのです。この日は快晴とはいえませんでしたが、見通しも良く、ウィーンの街並みが良く見えました。ウィーンへ行ったら是非登ってみて下さい。
 
でも足元も良く見えすぎて、高所恐怖症の方にはお勧めしません。
 
内部は石造りの説教壇、彫刻、彫像など、荘厳といった感じでした。
 
内部の全体も素晴らしいのですが、一つ一つの彫刻や彫像なども、多分一日中見ていても飽きないと思います。
 
私のように知識のない、芸術からは遠い人間でも、これだけ興味深いのですから、趣味のある人が行ったら何日もかかってしまうと思います。
 
寺院の中だけでなく、ウィーンの街は、通りも美術館のようにいろいろなものが建っています。
 
一つ一つに何とかの塔と名前がついているのですが、とても覚えられません。
 
そして、あちこちに寺院があります。これはウィーンで2番目に古い教会で、ペーター教会です。
 
11世紀に建てられて、18世紀にバロック様式の外観に改築されたそうです。黒い天使と金色の王冠や鍵が印象的でした。
 
内部の絵が有名なのだそうですが、残念ながら宗教画はわかりません。。
 
私たちにとっては街並みや動く物の方が解りやすくて楽しめます。
 
ほら見て下さい、子供たちだって動く物が好きなのです。
 
でもウィーンの街では、歩いているとすぐに教会に行き着いてしまうのです。これはカプツィーナー教会といって、ハプスブルク家の棺を安置してあるという教会です。
 
マリア・テレジアも、フランツ・ヨーゼフ1世もシシーも並んでここに眠っているというのですが、内部は工事中のようで、ハプスブルク家の御威光は感じられませんでした。
 
工事中のカプツィーナー教会では、ハプスブルク家の凄さは感じられませんでしたが、街を歩いていると、当時の繁栄の名残というか、余裕というか、実用的でないもの、装飾的なものが目につきます。
 
建物の入口や壁にある彫刻なども、余裕なのか、力の誇示なのか、私たち庶民からは遠い物に感じられました。すごいなーと言わせられてしまうような、あーそうですか、と言いたくなるような。ヒガミでしょうか?
 
それよりも、あちこちの建物の飾り物よりこの人のような、飾り気のない表情の方が私は好きです。
 
ほら、この人なんか、きっと良い一日だったのでしょうネ。
 
あら、この人なんでこんな難しい顔してこんなにかわいい自転車に乗っているのかしら。彼女とケンカでもしてきたのでしょうか?
 
早く良いお客さんが見つかりますように。
 
というわけで、ブラブラしているうちに王宮へ出て参りました。13世紀から20世紀まで、ハプスブルク家(オーストリア帝国)の発展と共に増改築が繰り返されたのだそうです。
 
部屋の数が2600室もあるそうです。誰が使ったのでしょうか?正面の旗の下が、四体のヘラクレス像が来訪者を迎えるミヒャエル門だそうです。
 
王宮の左手にある彫刻です。見上げている私と比べてその大きさがわかると思います。その向こうにヘラクレスが4人、その真ん中がミヒャエル門です。トーチャンにしては良く撮れました。
 
王宮前のミヒャエル広場からスペイン乗馬学校の横を抜けてくるとヨーゼフ広場へ出ます。これがヨーゼフ2世像です。後ろの建物の彫刻も立派です。
 
何しろものすごく大きいのです。
 
忘れてはならないのが国立オペラ座です。この下にOPERCAFEがあります。普段はコーヒーを飲まない私ですが、ここのはおいしかったです。ヘッヘッヘ、なーんてね、実は×××を飲みました。
 
オペラ座の怪人。実はモーツァルトの格好をしたダフ屋さん?
1273年に神聖ローマ帝国の君主となったルドルフ一世がオーストリアの地を得たのがハプスブルク家発展の始まりだそうで、以来1918年に帝国の崩壊を迎えるまで、ヨーロッパの中心都市として栄えたのがウィーンです。マリア・テレジア、フランク・ヨーゼフ、エリザベートなどなど歴史に弱い私でも知っているほど有名な人々のハプスブルク家の栄光は、今回「ウィーン歴史地区」を訪ねて十分に感じられました。ウィーンにいたのは一日だけなので、全部を見られたわけではありませんが、前回のシェーンブルン宮殿と併せて、ヨーロッパの歴史におけるハプスブルク家の重要性に触れられたと思います。現在のオーストリアは大学まで教育費は無料、国民一人当たりのGDPは世界第10位と、EUの中でも経済的に豊かで安定した国だそうです。ただし、離婚率は48%だとか、ガイドさんのうけうりですけど。訪ねたのがちょうど独立記念日とかで街の中はお店も休みのところが多く、普段に増してのんびりしていたようですが、それにしても余裕を感じられる街でした。これが長い歴史の重みとでもいえば良いのでしょうか。今回のウィーンは小さくまとまっており、見て歩くにはとても便利なところです。治安も良く、安心して歩けるし、皆さんにも是非お勧めのところです。次回は同じオーストリアですが、ウィーンより早く世界遺産に登録されたヴァッハウ渓谷を訪ねます。ご期待下さい。
 
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