プロジェクト135パート2 第55回 (アルメニア)ゲガルド修道院とアザト川上流域

 前回に引き続き、今回もアルメニアです。アルメニアは世界一美人の多い国といわれているそうですが、歴史的にオスマン帝国や帝政ロシアなど多くの国々の混血が美人を作ったのかもしれません。かつては海から海まで(黒海からカスピ海まで)アルメニアといっていたほど大きな国だったそうですが、今では人口300万人ほど、標高1,000~3,000mほどの高地にある小さな国になってしまいました。1915~17年にあったといわれるオスマン帝国による大虐殺の影響で今でも西側の国トルコとは関係が良くない上に、隣国アゼルバイジャンからは直接入国出来ず、私達はグルジアから陸路アルメニアへやって来ました。グルジアとの国境にも600mほどの緩衝地帯が設けられており、バスを降りてトランクを自分で押して国境を越え、アルメニアのバスに乗りました。今までに経験した事のない疲れる体験でした。でも、美人はいました。
 
■今回場所は
 

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ご覧ください。これが世界一といわれているアルメニアの美女群です。
 
そしてこれが遠くからはるばるやって来た日本のビジョです。ここが岩をくり抜いて造ったといわれるゲガルド修道院の中です。
 
修道院の外観はこんな感じで、学ぶ以外は何も無い場所に建っています。
 
上の写真の真中の奥の岩山を大きくするとこんな感じで岩の壁に大きな十字架が取り付けてあります。どうやって付けたのでしょうか?
 
修道院の入口です。岩に見事な模様が刻まれています。
 
ライオンやワシも深い彫りが力強く全く風化を感じさせませんでした。
 
内部の十字架などの彫刻は派手さはありませんが、素朴で、こんな岩に、これだけ彫るのにどんな時間を必要としたのか感心してしまいます。
 
内部の採光はローソク以外は自然の光だけ、この手を入れない、電気などを使わない事も世界遺産になった理由の1つかもしれません。
 
サッテと、次へ行きますか。アッ私、痛めた腰がまだ本調子でなく、用心に山用のストックを持って行ったのです。
 
修道院の入口近くに停まっていたロシア製と思われる車です。イヤな感じでした。
 
サテ皆さん、この管は何だと思いますか?各家庭へ配給されるガスの管です。紛争があるとすぐ止まるそうです。
 
見て参りましたゲガルド修道院と次に見に行くガルニ神殿、そしてその周辺のアザト川上流域のあたりがユネスコの世界遺産なのです。
 
そしてこれがガルニ神殿です。規模はそれほど大きくありませんが、建っている場所がすごいのです。
 
うまく神殿と川の両方を入れた写真が撮れませんでしたが、この写真の足元、手前に神殿は建っています。
 
平気な顔をしているように見えるかもしれませんが実は、足元は断崖絶壁でとても怖い場所に神殿は建っているのです。神殿と絶壁と両方を入れた写真を撮るのは難しいですネー。
 
仕方がないので、トーチャンと私の両方を入れた写真を撮りました。これも結構難しいのです。
 
神殿とハマム(浴場)です。ハマムには屋根をつけて保護しています。
 
ハマムの中はこんな具合で、あの変な石が熱くなって温い空気を出すそうです。
 
ハマムの中にはオリジナルのモザイクが残っています。
 
神殿、ハマムの他にもいろいろな建物の跡が残っています。これなどは建っている場所を想像していただけるかもしれませんネ。
 
この歩道の両側は切り立った、アザト川流域という訳です。
 
アザト川上流側です。
 
アザト川下流側です。
 
そして神殿の中です。
 
石の十字架です。
 
さてお昼です。アルメニアでもグルジアと同じように3種類から4種類のサラダが出ます。
 
それと生野菜とチーズはほとんど必ず出ます。
 
それをこうして焼いてくれたパンというかナンというかで巻いて食べます。これが前菜です。
 
次がスープです。その店によって違いますが大体トマト味というか赤カブ味というか、辛くはありません。
 
この日はジャガイモを焼いた物も出ました。
 
そしてメインは魚でした。これで大体4人分、皆で取り分けます。写真を撮っていたら真中は食べられてしまいました。でもカマの方が美味なのです。シメシメ。
 
町には旧ソ連時代の集合住宅が今でもたくさんあり、いかにも貧しげな感じがします。
 
寒々とした雰囲気は、私達が極楽トンボに観光などしていては何か申し訳ない様なうしろめたさを感じてしまいます。
今、ヨーロッパではシリアからの難民問題で揺れています。アルメニアはその歴史上、私達の知り得ない多くの問題があるのだろうと思います。現地アルメニア人の日本語ガイドは日本語をもっと勉強して日本に留学する為に結婚はしないで頑張るのだ、といっていました。日本人の口に合う食事をとてもおいしくいただきながら、300万人ほどの人口の国で100万人とも150万人ともいわれる虐殺があった事を考えると想像も出来ない悲惨な時期があり、その影響は今も続いているのだろうと感じながら町を見ていました。日本人で良かったとつくづく思います。あと1回アルメニア、次回はアルメニア使徒教会の総本山エチミアジンを訪ねます。おつきあい下さい。
 
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