プロジェクト135パート2 第44回 (ポーランド)クラクフ歴史地区

 クラクフといわれても私達日本人にはあまりなじみがありませんが、実はクラクフは11世紀中頃から1596年までの約550年間ポーランド王国の首都として栄えた都です。ポーランドのほかの都市が第2次大戦で壊滅的な打撃を受けたのに、クラクフが戦災を免れたのはここにドイツ軍の司令部がおかれていたためだといわれています。ワルシャワが東京とすればクラクフは京都ともたとえられています。そのクラクフの歴史的な街並みは1978年にユネスコが最初に世界遺産7つを登録したうちの1つとして登録されています。日本で最初に世界遺産に登録された法隆寺や姫路城などが1993年ですからその15年も前に登録されている訳です。近くには同じく最初の登録のうちの1つヴィエリチカ岩塩坑やナチス・ドイツの強制収容所の跡アウシュヴィッツなどがあり、日本から訪れる人も結構いるようです。では早速クラクフ歴史地区を見て歩きましょう。
 
■今回場所は
 

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ポーランドへは日本からの直行便はなく、ヨーロッパのどこかの主要空港から乗り継がなくてはなりません。今回私達はドイツのフランクフルトでクラクフ行きの飛行機に乗り継ぎました。さすがドイツの空港です。BMWの見た事もない車が展示してありました。多分i8というモデルです。
 
自動車ばかりではありません。空港の本屋さんには自転車の本が山積みでした。
 
クラクフの街でホテル近くに駐めてあった自転車達です。どれだけ脚の長い人が乗るのでしょう。サドルの高さが半端じゃありません。
 
乗っていたのはこんな人達でした。
 
朝、チョット散歩しただけでこんなにたくさんの自転車を見ました。クラクフは歴史的に有名な古都、というだけでなく、いろいろな年代の人達がいろいろなスタイルで自転車に乗っているとても文化的な感じのする街でした。
 
古い建物と近代的な市街電車がよく似合っていました。
 
やってまいりましたヴァヴェル城です。ここにも自転車
 
市街からテクテクと登ってお城へ入ります。正面の塔がサンドミエルスカタワーです。
 
塔の横から外を見ると、ヴィスワ川が流れており、その手前に変わった像があります。これは城壁の川べりに竜の洞窟があって、悪い竜がいたのだとか、その伝説から建てられた像だそうですが、あまり迫力は感じませんでした。
 
城内に入ると、ヴァヴェル大聖堂が見えてきました。
 
ヴァヴェル大聖堂は14世紀から18世紀までの約400年間ほとんどのポーランド王国の戴冠式を行った聖堂で、国王の墓所でもあります。
 
大聖堂は幾度もの増改築が繰り返されて、さまざまな建築様式からなっているそうです。どれがどの様式か分かりませんが、確かに私達が見ても1つの様式ではないのは分かります。
 
今はもう基礎しか残っていない所もあります。
 
大聖堂の入口にはマンモスの骨がありました。残念乍らここから先は撮影禁止でした。
 
大聖堂の奥は旧王宮です。周囲を取り巻く建物は、16世紀初頭にジグムント1世が建てたそうで、今は博物館になっていました。
 
ヨッコラショ、と内へ入ると、何とレオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」がありました。モナリザは見たし、あと一つは何でしたっけ?
 
これでヴァヴェル城内は終りにして、歴史地区の旧市街へ行って見ましょう。入った反対側の門から出ました。
 
これが旧市街の名もない通りです。これが何百年も続く街並み、世界遺産です。
 
普通の建物のように見えますが、よく見ると昔の窓だとか、見る人が見ると感激するところなのだそうです。私には普通に見えました。
 
旧い、立派な建物。立派でした。
 
何しろ旧くて立派な建物がたくさんありました。立派な建物はほとんど教会みたいでした。
 
何といっても、いろいろな、それぞれにいわくのありそうな、人々が何百年も立っているのです。いえ、私はいわくもありませんし、何秒かしか立っていませんでした。
 
この人も世界遺産でしょうか?
 
では、この人たちは何をしているのでしょうか?
 
そーです、キャンディーを作っているのです。
 
見えて来たのは何とか教会、あまりたくさん教会が出て来たので、何だか分からなくなりました。
 
確か、これがあの教会の内部です。
 
コペルニクスが学んだ大学
 
旧市庁舎の塔です。旧市庁舎は1820年に取り壊されたのに、この塔だけは残されたのだそうです。
 
聖マリア教会です。クラクフの中央広場に面するこの教会は13世紀に建てられました。
 
その昔、モンゴル軍がクラクフを襲った時、敵襲を告げるラッパがこの教会の塔の上から吹き鳴らされたそうです。それをモンゴル兵が矢でラッパ手ののどを貫いたそうで、それを悼んで今でも1時間ごとに吹き鳴らすのだそうで、私達もちょうど正時に聞きましたが、心なしかもの哀しい響きがあるような気がしました。
 
圧巻はその内部です。
 
ステンドグラスや彫刻はいろいろ見てきた中でもかなり上位に入ると思います。
 
特に、15世紀に作られたという祭壇は皆さんも機会があったら是非お勧めします。
 
さすがの私も、これには感心、真面目に見てしまいました。
クラクフは教会と自転車だらけでした。クラクフは13世紀のモンゴルの襲撃でいったん破壊されてしまい、その後の復興が順調に進み14世紀から最盛期を迎えたのだそうです。モンゴルの来襲以前はほとんどの建物は木造建築だったそうで、モンゴルの来襲でほぼ全壊してしまった一因に木造だった事もあるそうです。その後の建築はほぼ石造りで現在まで文化都市としての伝統を受け継ぎ、ヨーロッパ有数の観光都市となり、欧米では最も人気のある観光都市の1つといわれているそうです。実際に行って見ても落ち着いた安心感のある都市でした。
 さて、次回は同じ1978年に世界遺産に登録されたヴィエリチカ岩塩坑を紹介します。おつきあい下さい。
 
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