第43回 郡山城(広島県)

第43回 郡山城の回 ページメニュー
【その一】 郡山城への道
【その二】 郡山城に登城しました。
 

 
ヤフーラボで高低差も チェーック!!
 

 
郡山城
所  在 広島県安芸高田市
築城年代 延元元年(1336年)
城  郭 山城
築城者 毛利氏
城  主 毛利氏
廃城理由 天正19年(1591年)毛利氏が広島城へ引越したため
天  守 無し
見  所 三ノ丸石垣跡
最寄駅 吉田口駅(JR)
 

 
【その一】:郡山城の回
 
日本100名城 郡山城
【コメント:阿部ちゃん】
おはようございます。あれからいろいろあって朝です。一時的に記憶を失ってしまったので、とりあえず広島駅の位置を宿の御主人に確認です。
 

 
広島攻め最終日。お天気の神様にず~っと恵まれたらそりゃ笑いもこぼれますわな。まずは広島駅までスパーキング!
 

 
今日は毛利輝元が広島城へ移るまで居城していた吉田郡山城という渋い城を目指します。ここからは一旦輪行となります。悪しからず。
 

 
どこから撮ってるんだかカメラ小僧。乗り遅れても知らないよ。あ、ごめん、やっぱ乗り遅れられたら困るわ。先を急ぎます。
 

 
広島駅から約1時間半。芸備線にどんぶら揺られ、最寄の吉田口駅に到着しました。偶然にも50年ぶりに訪れたというノンフィクションな女性に遭遇しました。その人の目にはどう映ったのか。
 

 
とりあえず全貌を確認します。いつぞやの地図を基に。何やら山登りの匂いがプンプンプンです。
 

 
たった今決意を固めましたので、その模様どうぞ。
 

 
ということで登ります。のぶさんの膝が既に限界を迎えていることは百も承知です。
 

 
広島から1時間半でこんな自然にあふれたところへ来られるのです。青雲、それは君が見た光。
 

 
じぇじぇじぇ!既におら達は外堀走ってたんだな。
 

 
あの広島県立吉田高校を通過すれば、そろそろ吉田郡山城の入り口に到着するはずです。吉田口駅からは大体5kmぐらいです。自転車持ってきて良かった~
 

 
標識が出て参りました。山城というのでいろいろ恐れていたのですが、すんなり到着してしまいました。嬉しい誤算。
 

 
まずはスタンプをゲットしなくてはなりませぬ故、噂の歴史民俗博物館へ入ります。
 

 
ちゃんと開いてました。百名城に認定されるとこのような認定証が授与されます。俺もいつかは・・・。
 

 
それではと認定証前でぎゅぎゅぎゅと捺印。この企画の時間軸としてスタンプ前スタンプ後というのがあります。それはつまりのぶさんのテンションの境界線。嗚呼、無情。
 

 
 
【その二】:郡山城に登城しました。
 
日本100名城 郡山城
【コメント:のぶ】
毛利家の旗が勇ましいですね。安芸高田市歴史民俗博物館。郡山城は屈指の山城ですからね、麓の施設で情報を集めるのが鉄則。
 

 
百名城スタンプを押していると事務員のおじさんが「郡山城の案内図ここにあったわー」と聞こえるように呟いていたので、案内を乞う。
 

 
やはり山城の例にもれず、登城ルートがいくつかありました。おじさんによると大手ともいうべき、麓の清神社から登る登山道を選択!
 

 
毛利家の躍進を支えたであろう清神社にて、旅の安全祈願。久々にジンジャー阿部の本領発揮。
 

 
広島のサッカーチームも優勝祈願にチームで訪れていた写真。ちなみにあのチーム名は、毛利元就の故事「三本の矢」から来てますよ。
 

 
山頂付近に広がる本丸目指して、GO GO!博物館のおじさんによると、標高389m、麓からの高さ200mだそうです。
 

 
この地域の小領主にすぎなかった毛利家を中国地方の王にまでしたということで毛利元就は大変な人気者ですね。昨日広島城でセンターはってたし。
 

 
小さかった郡山城も元就が拡張していき、最終的には山全体を城域とする270の曲輪を抱える山城に発展したらしいです。そのおかげで我々もこうして登っているわけです。
 

 
そんな曲輪の一つで。三本の矢で知られる毛利の息子たちも子供のころ、こうしていたに違いないです。これを見て、そのくらいしか言えないです。
 

 
ちゃんとした遺構も残ってますのでご安心を。
 

 
堀切!あまり深くないのは土で埋まってしまったからでしょうか。拡張工事の成果があって、尼子に2万人で攻められても守りきったといいます。
 

 
こうした優しいカウントダウンが励ましてくれます。実際のところ、慣れない連日のライディングで足の痛みがしんどかったです。
 

 
勢溜の壇(せだまりのだん)という曲輪の奥には、絶景スポットがあります。一乗谷城で景色の悪さを毒づいていたガーサスもこれには目を細めていたので良かったです。
 

 
ついに山頂の曲輪群に到着!郡山城はでかい山城だけあって、大名の一族も居住していたそうです。とすれば、井戸がなければ成り立たないですね。今でも少し掘れば水が湧くということが書かれていました。
 

 
阿部のいるのが二ノ丸ですが、たった独りで登ってきた城ガールの方が先客でいらっしゃいました。毛利に思いを馳せてか、遠い目で麓を眺めながら独り、握り飯を食べていました。あまりにもオーラがありすぎて声をかけられませんでした。
 

 
実際のところ、我々のほうが怪しかったと思います。
 

 
さて、ここは三ノ丸の石垣跡です。ここいらで今回の旅を振り返りますか。
 

 
 
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